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サンクトガーレン : ミニ英和和英辞書
サンクトガーレン[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

サンクトガーレン : ウィキペディア日本語版
サンクトガーレン[ちょうおん]

サンクトガーレンとは、神奈川県厚木市に所在する有限会社。また、同社が醸造、販売するビールのブランド名でもある。1994年4月の地ビール解禁前に、日本の酒税法では酒類に分類されないアルコール度数1.0%未満のビールを日本・六本木で醸造していたことから、日本の地ビール第1号と称されることもある〔〔日本の酒税法の範囲内でという意味では「エチゴビール」が日本の地ビール第1号である。〕。
==概要==
日本での地ビール解禁に先駆け、1993年3月、アメリカ・サンフランシスコブルワリーパブ「カフェ・パシフィカ」をオープンし、ビールの醸造と販売を始める。この活動がアメリカのメディアで話題となったことが日本での地ビール解禁の一因となったと言われる〔『DIME』第23巻第20号 (2008年9月16日発行) 78、79ページによると、アメリカが日本への規制撤廃の圧力を強めていた時期にアメリカの店にTIMENewsweekが取材に来て記事を掲載。その記事をみた規制撤廃派の日本人ジャーナリストが日本の政治家にこの記事を見せたと言われている。その後、日本の報道番組もアメリカの店に取材に訪れるようになる。〕。また、六本木に飲茶と地ビールの店「サンクトガーレン」を開き〔、醸造したビールを逆輸入して販売する。
1993年12月にビール醸造設備をアメリカから輸入し、1994年初めから六本木の「サンクトガーレン」で日本の酒税法対象外のアルコール度数0.75%のビールの醸造を開始〔。1995年10月には日本で発泡酒の製造免許 (年間最低製造数量6kl) を申請し、12月12日に製造免許を取得した〔。
1997年、神奈川県厚木市に醸造施設を造り、拠点をそこに移す〔。また、同年は日本の酒税法で必要とされている担保金が用意できなかったため、免許更新が滞っていた〔。しかし、これを期に岩本伸久を社長とした新会社「サンクトガーレン」を設立する〔。
2006年1月、バレンタイン商戦に合わせてチョコレートの風味を持つインペリアルチョコレートスタウトを販売〔。報道各社に資料を送付したことも功を奏して6,000本が1週間で完売した〔〔『DIME』第23巻第20号 (2008年9月16日発行) 80ページによると、醸造者兼社長の岩本伸久は、販売前には、6,000本を捌くために何年もかかる可能性を懸念していたという。〕〔同社プレスリリース (2008-08-28発表、2008-09-17閲覧) によると、インターネットオークションでは定価の7倍の値が付く事態となった。また、2007年には20,000本が1日で完売している。〕。また、これをきっかけに顧客層が広がり、他のビールの売上げも伸びていった〔。
2007年5月には、スイーツビールの一弾目である黒糖スイートスタウトとスイートバニラスタウトの販売を開始する〔。日本の地ビール業界では月に1万本売れると大ヒットと言われているが、両ビールとも、月に2万本から3万本ほど売れる大ヒット商品となる〔。
なお、同社のビールは、国内外で多数の賞を獲得している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「サンクトガーレン」の詳細全文を読む




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