|
サンゴバン(''Saint-Gobain SA''、)はフランスの多国籍企業であり、1665年パリで創業した。現在の本社はパリ近郊のラ・デファンスにある。当初は鏡を製造していたが、現在は他に各種建築材料や高機能材料も製造している。ユーロネクスト・パリに上場しており、CAC 40の構成銘柄の一つとなっている。 == 歴史 == === 1665年 - 1789年 === サンゴバンの前身である ''Manufacture royale de glaces de miroirs'' は、フランスの財務総監ジャン=バティスト・コルベールの唱える重商主義に沿って創設された。コルベールの方針は何よりもまず、王ルイ14世と国家の栄光を保つため、王国の経済と財政を立て直すことであった。彼の経済財政政策は、フランスがヨーロッパの他の重商国家と対向できるようにするため、戦略的産業を強く生産的に育成することを指向していた〔Abbott Payson Usher, "Colbert and Governmental Control of Industry in Seventeenth Century France" ''The Review of Economics and Statistics'' 16.11 (November 1934:237-240).〕。 17世紀中ごろ以降、絹織物、レース、鏡といった贅沢品の需要が高まっていた。1660年代には、上流階級の間で鏡の人気が非常に高くなった。イタリア製飾り棚、舞踏室、城、豪華なサイドテーブルやピアーテーブルは、この高価で贅沢な製品で飾られた。しかし当時フランスでは、鏡の製造技術が未熟だった。当時、ガラス製造といえばヴェネツィアが世界をリードしていた(ヴェネツィアン・グラス)。 17世紀初頭から、ヴェネツィアはガラスおよび鏡の市場を技術的にも経済的にも独占し、高品質の製品を生み出していた。コルベールはフランス国内の贅沢品の需要を国内で賄いたいと考えていた。さらに彼は贅沢品市場が国家経済の強化に繋がる可能性を認めていた。そこで彼はガラスおよび鏡の製造を行う公共企業 ''Manufacture royale de glaces de miroirs'' を1665年10月に創設した。この企業は資本家でオルレアンの徴税権保持者でもある Nicolas du Noyer に20年間の独占権を与えるものだったため、非公式に ''Compagnie du Noyer'' とも呼ばれ、国家がその資金の一部を提供した。 イタリアの鏡産業と対抗するため、コルベールはヴェネツィア出身の職人を集め ''Manufacture royale de glaces de miroirs'' で働かせた。間もなくフランスで製造した鏡はヴェネツィアの製品と対抗できるようになった。フランスで製造した鏡は長さが1m強で、当時としては印象的な大きさだった。フランスとヴェネツィアの競争は熾烈を極め、ヴェネツィアではガラス職人が余所の土地、特に外国に移ってガラス製造を営むのは犯罪とみなすようになった。 約20年後の1683年、同社は国との契約をさらに20年間延長した。しかし1688年、''Compagnie Thévart'' が国の財政支援を受けて創業し、''Compagnie du Noyer'' の独占状態は23年で終わりを迎えた。''Compagnie Thévart'' も鏡とガラスを製造する企業であり、新たな製法を使って1.5m以上の長さで幅が1m程度の板ガラスを製造できた。これは ''Compagnie du Noyer'' の1mのガラスよりも大きい。 約7年間、両社は熾烈な競争を繰り広げたが、1695年に景気が悪化し、両社の技術的および経済的競争は逆効果となった。国の命令によって両社は合併することになり、''Compagnie Plastier'' となった。 1702年、''Compagnie Plastier'' はたった7年で倒産した。1695年の合併は、もともと財政状態の悪化した2社を合併させたもので、両社を救済できなかった。しかし、フランス系スイス人プロテスタントの銀行家が救済の手を差し伸べ、会社を救った。社名を再び変更して ''Compagnie Dagincourt'' として再出発することになった。 スイスの銀行家の庇護の下で、''Compagnie Dagincourt'' はフランス王室から特許権を得て、他の企業から時に激しい抗議があったにも関わらず、フランス革命までガラス製造を独占し続けた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「サンゴバン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|