|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 通 : [つう] 1. (adj-na,n) (1) connoisseur 2. authority 3. (2) counter for letters, notes, documents, etc. ・ 通り : [どおり] 1. (n-suf) (1) in accordance with .. 2. following .. 3. (2) .. Street 4. .. Avenue
サンジェルマン大通り( - おおどおり、ブールバール・サンジェルマン、仏:Boulevard Saint-Germain)はパリ、セーヌ川左岸にある大通りの名称。東はサン・ルイ島の先端に架かるシュリー橋から起こり、弧を描くように西行し、パリ5,6,7区を通ってコンコルド橋(右岸のコンコルド広場に渡る橋)で終わる。ほぼ中間のところで南北に走行するサンミシェル大通りと交叉している。 この通りは、通りの名の由来となったサン=ジェルマン=デ=プレ地区や地区(邸宅が多く、マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』に描かれた)を通ることで知られる。 == 歴史 == サンジェルマン大通りの名は、中世(6世紀)から残る(レンヌ通りが突き当たる場所に建つ)に由来する。通りの周辺はフォーブール・サンジェルマン(サン・ジェルマン・デ・プレ寺院の郊外の意、寺院の西側に拓けた)として知られる。 17世紀には、サンジェルマン地区は貴族の邸宅(''hôtels particuliers'')が集まる場所となった。19世紀になってもその状態は続いていたが、その頃には古くからの貴族街として、セーヌ川右岸の新興ブルジョアジー地区であるサン・トノレ大通り(ブールヴァール・サン・トノレ)やシャンゼリゼ通りと対比された(例えばオノレ・ド・バルザックの小説に描かれている)。 1930年代以降、ここは夜の繁華街やカフェ、学生街(この通りはカルチエ・ラタンを通る)となっていった。「レ・ドゥ・マゴ」(:fr:Les Deux Magots)や「カフェ・ドゥ・フロール」(:fr:Café de Flore)をはじめとする多くのカフェが集まり、サンジェルマン地区は実存主義のメッカとなった(ジャン=ポール・サルトルやシモーヌ・ド・ボーヴォワールにゆかりがあった)。第二次大戦後サンジェルマン大通りは、パリの知的・文化的地域となった。哲学者や作家、音楽家たちが通りに居並ぶナイトクラブやブラッスリーに溢れていた。 現在のサンジェルマン大通りはジョルジオ・アルマーニからソニア・リキエルまでの店舗が並ぶ最高級商店街となっている。しかし知的・政治的な会合や夜会も、相変わらず無名のカフェで盛んに行われている。近くにはヨーロッパ有数の政治学教育機関であるパリ政治学院(略称"Science-Po")がある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「サンジェルマン大通り」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Boulevard Saint-Germain 」があります。 スポンサード リンク
|