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サンプラザ中野くん(サンプラザ なかのくん、1960年8月15日 - )は、日本のミュージシャン、作家。本名、中野 裕貴(なかの ひろたか)。山梨県甲府市生まれ、千葉県育ち。アミューズ所属。千葉県立東葛飾高等学校卒業、早稲田大学政治経済学部政治学科除籍。「山口のばら」名義で作詞も行なっている。 身長181cm。血液型はB型。左利き。スキンヘッドとサングラスがトレードマーク。 2008年1月15日、日本テレビ系列『踊る!さんま御殿!!』にて、芸名を「サンプラザ中野」から、「サンプラザ中野くん」へ変えたことを発表した。 == 来歴 == 千葉県立東葛飾高等学校でパッパラー河合と出会い、早稲田大学在学中の1980年に河合を含む同校OB数名が結成したスーパースランプに参加。アマチュアバンドのコンテストであるヤマハ・イーストウェストに出場し、常識破りのパフォーマンスなどが高評価を得た。このときの会場が東京・中野駅前にある中野サンプラザであったことにちなみ、本名が中野であることと掛けて芸名が決定された。中野サンプラザはPRになるとして名称の使用を許可している。 1982年、同じくイーストウェストに出場していた爆風銃(バップガン)のドラマーであったファンキー末吉の勧誘を受け、河合とともにスーパースランプを脱退、爆風スランプを結成する。以降、爆風スランプのフロントマン、ボーカリストおよび作詞担当として活躍した。 爆風スランプの知名度が高まるとともに、中野個人のパフォーマンスや話術も注目され、『サンプラザ中野のオールナイトニッポン』などのパーソナリティも担当した。またこの頃、河合とともにフォークユニット「The花びら」を結成し、爆風スランプと並行して活動した。 1992年、テンペストを考案し、エポック社から発売した。リバーシに近い複数で出来るボードゲームで、箱には「考案者」として中野の写真が印刷されている。 1999年に爆風スランプが活動を休止すると、かつてのバンド名を冠した新ユニット、スーパースランプを河合とともに結成した。また株取引に傾倒し、雑誌連載記事や入門書の執筆、経済番組への出演なども行う。その他、自身のダイエット成果を記述した健康に関する本も執筆した(ダイエットに関しては、本を出版した際の記者会見で更年期障害にかかっていたことを告白した。男性でも更年期障害があることが世間に知られたことで話題となった)。 2001年に、NHK全国学校音楽コンクール小学校の部の課題曲「ロボット」の作詞を担当した(福田和禾子作曲)。 現在は、ラジオのパーソナリティや各種の雑誌連載・小説の執筆など、多方面で才能を発揮している。また、前述の株式関連のほかに、外為どっとコムのホームページ内で外国為替証拠金取引関連のブログを執筆している。外為投資のセオリーを無視した投資スタイルは、役立つ情報を提供するとともに閲覧者参加型のブログとして成り立っている。外為投資では昨年後半からの下落相場でトレンドの波に乗るという投資の基本が着実に身につき、2007年秋に黒字転換してからはそれなりの成績を残していたが、評価残高の乱高下が激しく資金管理の面では初心者の域を脱しきれず、一時期元手の倍以上に増やした資金の大半を2008年8月から9月のわずか2か月間で失ってしまった。 2006年8月26日・8月27日、所属事務所の先輩であるサザンオールスターズの桑田佳祐の呼びかけに応え、『THE 夢人島 Fes.2006』に参加。 2006年9月、地元・柏エリアの後輩アーティスト育成のための音楽レーベル“柏兄弟”(外部リンク参照)を設立。プロデューサーとしても活動する。 2015年、バイきんぐの小峠英二とユニット「坊坊主(ボーボーズ)」を結成し、8月26日にアルバム「励ます」をリリース。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「サンプラザ中野くん」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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