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「サンマリノの歴史地区とティターノ山」(サンマリノのれきしちくとティターノさん)は、サンマリノ市の歴史的市街やその周辺を対象とするユネスコの世界遺産リスト登録物件である。サンマリノ市はサンマリノ共和国の最高峰ティターノ山の上に建設された都市であり、中世的な都市国家の様相を色濃く残しているだけでなく、その街並みが世界最古の共和国とも言われるこの国に息づく伝統と密接に結びついていることが評価された。 2008年に登録されたサンマリノ初の世界遺産であり、2014年の第38回世界遺産委員会終了時点では、同国唯一の世界遺産でもある。 == 歴史 == サンマリノの伝説的な起源は、ダルマティアから渡ってきた敬虔な石工(聖マリノ)の信仰生活に遡る。彼はディオクレティアヌス帝の迫害から逃れるためにティターノ山にこもった。彼と同じように迫害から逃れようとした人々や、聖マリヌスを慕って集まった人々によって、最初の住民社会が形成されたと言われている〔ロッシ (1987) pp.22-23〕。 サンマリノについての史料では、6世紀初頭に、ティターノ山頂に建つ修道院に言及したものが現存最古である〔ICOMOS (2008) p.186〕。9世紀になると、ローマ法だけでなくランゴバルド人の法やフランスの法も援用した判例が残っており、この時点で、サンマリノが聖職者だけのコミュニティではない、市民社会が存在していたことを窺わせる〔ロッシ (1987) pp.24-25〕。10世紀になると教区の存在も確認できるようになり〔、防衛施設として砦や城壁を築くようになったとされているが〔ロッシ (1987) p.25〕、現存する建物には、この時代にさかのぼるものはない〔。 13世紀には共和制の都市国家が形成され、1463年には現在まで続く国境線が事実上画定した〔。現存する街並みはその辺りの時期に、3段階で形成された。まず、13世紀末に最初の塔と教会周辺の区域が形成され、山麓のボルゴ・マッジョーレの市場町も形成された〔ICOMOS (2008) pp.184, 186〕〔文献によっては、最初の塔が11世紀、残り2つが13世紀としている文献もある(ロッシ (1987) pp.138-139)。〕。次いで14世紀にかけて第2、第3の塔が形成されるとともに、第2の市壁が形成されて市域が拡大したが、現存する市壁は大部分が再建されたものであるので、当時の姿を偲ぶことができる部分は限定的である〔ICOMOS (2008) pp.185-186〕。15世紀半ばに第3の市壁が完成し、有力者たちの邸宅も多く建てられるようになった〔。 こうした古い建造物について保護の動きが本格化したのは20世紀初頭のことで、議会の保存委員会設置が1916年、保護法の成立が1919年のことであった〔。保護法は1980年に改訂され、1993年に付則が制定された〔ICOMOS (2008) p.190〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「サンマリノの歴史地区とティターノ山」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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