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サンライズバッカス () は、日本の元競走馬である。馬名は冠名「サンライズ」にギリシャ神話の酒の神「バッカス」。国際競走となった2007年のフェブラリーステークスを制したが、その後は惜敗続きで勝ち星を挙げることはできなかった。 == 戦績 == 育成時代は浦河の吉澤ステーブル で過ごし、2004年11月にJRAの京都競馬場でデビュー。デビューからの4戦を芝のレースで走ったものの、惨敗が続き、翌年4月にダートに転向する。すると才能を開花させ、4連勝でオープン入りした。そして地方競馬盛岡のGIダービーグランプリに挑戦したもののカネヒキリに及ばず2着に敗れた。その後、武蔵野ステークスに挑戦。レースではカネヒキリが出遅れたため、早めに抜け出したサンライズバッカスがそのまま粘り切り、重賞初制覇を収めた。続いて挑戦したのはジャパンカップダート。しかし最後は後方から追い込んできたものの、前には届かず5着に敗れた。 2006年に入ってからは根岸ステークスで4着に入ったものの、その後2戦は惨敗が続いた。しかし、前年勝利した武蔵野ステークスで2着に入ると、ジャパンカップダートでは新たに安藤勝己を鞍上に迎え、2年連続で5着となった。 2007年も引き続き安藤勝己が騎乗を続けた。初戦の平安ステークスではメイショウトウコンの追い込みに敗れたものの、2着に入った。続いてのフェブラリーステークスは、GI競走ながら前年の優勝馬カネヒキリなどの有力馬が怪我で不在の状況となっていたが、サンライズバッカスは、スタートでやや出遅れたものの直線で一気に抜け出し、ブルーコンコルドの追い込みを凌ぎ、GI初勝利を収めた。しかし続いてのかしわ記念では、直線で粘り切れず5着に敗れた。続く帝王賞では、スタートで躓き、道中はかなり後方からのレースとなり、追い込んで来るも前に届かず3着に敗れた。3ヶ月の休養を挟み、秋は南部杯から始動。スタートでの出遅れから道中はまたも後方の位置取りとなり、直線で追い出すものの、先頭集団には届かず5着に敗れる。続いて第7回JBCクラシックに出走。最後の直線では後方から伸びてきたものの、4コーナーでの不利も影響し3着に敗れた。秋3戦目は第8回ジャパンカップダート。陣営は具合の良さを強調していたが、最内枠だったことによりスムーズさを欠き、3着を死守するのが精一杯だった。 2008年は川崎記念に出走予定だったが、前日に出走取消となった。3ヶ月休養後、4月27日のアンタレスステークスに出走、3着と好走した。その後、5月25日の東海ステークスに出走したが、見せ場なく11着に敗れ、レース後はグリーンウッドへ短期放牧に出され、6月20日に帰厩し、7月13日のプロキオンステークスに出走し、3着となる。続く日本テレビ盃でも3着、武蔵野ステークスでは前を捉えきれず2着だった。そして大一番、ジャパンカップダートでは直線で大外から脚を伸ばしたが、4着に敗れた。 2009年は1月25日の平安ステークスから始動したが、8着に敗れた。その後、2月22日のフェブラリーステークスに出走したが、出遅れが響き、15着と大敗した。4ヶ月の休養後、7月12日のプロキオンステークスに4番人気で出走したが、6着に終わった。続く9月21日のエルムステークスでは見せ場がなく12着と大敗した。 12月9日に中央競馬の競走馬登録を抹消され、大井へ転厩した〔。 大井移籍緒戦となった2010年5月5日のかしわ記念では見せ場なく9着に敗れた。続く大井記念では人気通りの6着、帝王賞では13着と惨敗が続いた。オープン特別2戦でも大敗を続け、ついに競走馬を引退するに至った。GI勝ち馬ながらすぐに種牡馬になることはできず、日高町のヤナガワ牧場で余生を送っていた。しかし2012年よりレックススタッドで種牡馬として供用することが決まった。2シーズン種付けを行い、2013年6月15日にレックススタッドを退厩、再びヤナガワ牧場へと戻った。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「サンライズバッカス」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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