|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。
サンライズマックスは、日本の競走馬である。馬名の由来は冠名の「サンライズ」+最大限 (MAX) 。おもな勝ち鞍は中日新聞杯、エプソムカップ、小倉大賞典。 ==戦歴== 2006年11月19日、京都の2歳新馬でデビュー。デビュー戦は5着だった。初勝利はデビューから4戦目、2007年1月27日の京都での3歳未勝利戦であった。次走の皐月賞トライアルである若葉ステークスで2着に入り、優先出走権を獲得。しかし本番の皐月賞ではいい所なく13着に惨敗した。 その後、半年間の休養に入り、10月に復帰。条件戦を連勝後臨んだ中日新聞杯で鮮やかな差し切り勝ちを収め、重賞タイトルを獲得した。なおこの際、鞍上のミルコ・デムーロ騎手が決勝線手前で両手を手綱から放し、俗に言う飛行機ポーズのパフォーマンスをした為、JRAから過怠金50,000円の制裁を受けるという珍事まで起きてしまった。 2008年に入り、大阪杯に出走するが10着に敗れる。続く新潟大賞典も8着だった。 その後、春競馬オーラスとなるエプソムカップに出走、レースは先行するヒカルオオゾラを直線ゴール間際で差し切って優勝。重賞2勝目を飾ると共に、横山典弘騎手にJRA重賞通算100勝目をプレゼントした。しかし、続く毎日王冠では14着と大敗した。 2009年の初戦は小倉大賞典。4か月の休養明けもものともせず鋭い伸び脚を見せ快勝。重賞3勝目を挙げた。なお、鞍上の横山典弘はこれが小倉競馬場での重賞初勝利であった。続く大阪杯では見せ場なく8着に終わった。その後、天皇賞(春)では前走の内容から10番人気と評価を落としていたが、レースでは好位から競馬を進め、最後の直線で馬場の内側から伸びて4着となった。休養を挟んで、10月11日の毎日王冠に出走したが5着に終わった。続くアルゼンチン共和国杯では中団追走から追い上げてくるものの4着に敗れた。続く鳴尾記念では先団でレースを進めたが、直線で失速し7着に敗れた。 2010年の初戦は日経新春杯。後方から追い込んでくるものの4着に敗れた。続く京都記念では見せ場なく10着に敗れた。4ヶ月の休養を挟んで6月13日のエプソムカップに出走したが、終始後方のまま12着と大敗を喫した。続く米子ステークスでは人気通りの10着と惨敗した。休養を挟んで12月11日の中日新聞杯では後方から追い込んでくるも4着だった。 2011年初戦の小倉大賞典と中京記念ではともに後方から追い込んでくるものの5着に敗れた。休養を挟んで、7月31日の小倉記念に出走したが7着に終わった。小倉日経オープンでは後方待機から直線で外から脚を伸ばし2着となった。朝日チャレンジカップではスタートで出遅れてしまい5着。12月10日の中日新聞杯では終始後方のまま16着と大敗を喫した。 2012年4月27日付けで競走馬登録を抹消され、水口乗馬クラブで乗馬となる〔重賞3勝マックスが引退、乗馬 日刊スポーツ 2012年5月3日〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「サンライズマックス」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|