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サン・ベント宮殿 : ミニ英和和英辞書
サン・ベント宮殿[さんべんときゅうでん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

宮殿 : [きゅうでん]
 【名詞】 1. palace 
殿 : [どの, との]
 【名詞】 1. (pol) person 2. Mister (mostly in addressing someone on an envelope) 3. Mr 

サン・ベント宮殿 : ウィキペディア日本語版
サン・ベント宮殿[さんべんときゅうでん]

サン・ベント宮殿Palácio de São Bento)は、ポルトガルリスボンにある宮殿。現在は共和国議会が置かれている。
==歴史==
宮殿は1598年に建てられたベネディクト派修道院を前身とする。1615年、僧たちがカーサ・ダ・サウデ地区に移り住み、黒死病を患う人々の住居とした。イエズス会士の建築家バルタザール・アルヴァレスの計画によりマニエリスム様式の新しい教会が17世紀に建てられた。大きな長方形の建物に、2つの尖塔と4つの回廊があり、寮や台所なども付属している。建設がほとんど終わりかけた頃の、1755年リスボン地震で損害を受けた。
1820年の自由主義運動と1834年の宗教抑圧の後、修道士たちは修道院から放逐され、ここに議会が設置された。建物は議宮(Palácio das Cortes)または議院(Parlamento)と呼ばるようになり、以降改修が進められ、新しい機能をこなせるように建物は変わっていった。
修道士たちの参事会場として使われていた場所は、1867年に全体をフランス人建築家ジャン・フランソワ・コルソンにより会議場に改装され、1967年にポルトガルが一院制となるまで上院の会議場として使われた。
1895年、火事で下院の会議場が燃えると、会議場の修繕と拡張の必要を迫られた。ポルトガル人建築家ミゲル・ヴェントゥラ・テッラは改装工事を引き受け、1940年代まで改築が行われる。彼は下院の会議場を新しく建設し、円柱と三角形のペディメントからなるネオクラシカル様式ファサードを作った。また大広間や内部の大階段など多くの部屋を改装、この工事は建築家アドルフォ・マルケス・ダ・シルヴァに受け継がれて1920年代まで続いた。
1940年代サラザール体制下で、議会入口部分の大階段が完成。この階段は、宮殿の後ろにある庭園設計の責任者でもあったクリスティーノ・ダ・シルヴァのデザインによるものである。1974年カーネーション革命による民主化以来、宮殿前部のこの区画はリスボンで最も人気のある場所になった。
1999年、付属の建築物が旧王宮の近くで使用され始めた。歴史的な外観を変更することなく会議場のスペースを広げるために行われたもので、その建築はフェルナンド・タヴォラがデザインした。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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