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サン=サヴァン・シュル・ガルタンプ修道院付属教会 : ミニ英和和英辞書
サン=サヴァン・シュル・ガルタンプ修道院付属教会[さんさう゛ぁんしゅるがるたんぷしゅうどういんふぞくきょうかい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

修道 : [しゅうどう]
 【名詞】 1. learning 2. studying the fine arts 
修道院 : [しゅうどういん]
 【名詞】 1. monastery 2. convent 3. cloister 4. abbey 
: [ふ]
  1. (n,vs) giving to 2. submitting to 3. refer to 4. affix 5. append
付属 : [ふぞく]
  1. (n,vs) attached 2. belonging 3. affiliated 4. annexed 5. associated 6. subordinate 7. incidental 8. dependent 9. auxiliary 
教会 : [きょうかい]
 【名詞】 1. church 
: [かい]
  1. (n,n-suf,vs) meeting 2. assembly 3. party 4. association 5. club 

サン=サヴァン・シュル・ガルタンプ修道院付属教会 : ウィキペディア日本語版
サン=サヴァン・シュル・ガルタンプ修道院付属教会[さんさう゛ぁんしゅるがるたんぷしゅうどういんふぞくきょうかい]

サン=サヴァン・シュル・ガルタンプ修道院付属教会は、フランスヴィエンヌ県都市サン=サヴァンにある中世以来の教会堂。保存状態の良好なロマネスク期の壁画36点が現存していることで知られ、ユネスコ世界遺産にも登録されている。なお、当初の登録名は「サン=サヴァン・シュル・ガルタンプ教会 (Church of Saint-Savin sur Gartempe)」だったが、2006年により正確な現在の登録名になった。
== 修道院と付属教会の歴史 ==
ユグノー戦争末期に当たる1598年に修道院の設立憲章は失われてしまったため、正確な設立時期は定かではない。伝統的には、5世紀にマケドニアでの迫害から逃れてきた2人のキリスト教徒サヴァンとシプリヤンに遡る。彼らはガルタンプ川沿岸に逃れてきたが、そこで殉教し、現在のサン=サヴァン市の近くに葬られたという(サン=サヴァン・シュル・ガルタンプは「ガルタンプ川沿いの聖サヴァン」の意味)。この300年ほど後に彼ら2人に殉教地から聖遺物が発見されたことから、カール大帝の秘書官だったバディウスは、この地に聖遺物を納めておくための修道院を作ることを決めたという。アニャーヌのベネディクトゥス(:w:Benedict of Aniane) はヌルシアのベネディクトゥスの戒律を適用し、その地に20人ほどの修道士を住まわせた。
1010年にポワトゥー伯領とアキテーヌ伯領を治めていた女性領主オモド(Aumode) は、修道院に対して、現存する付属教会の建造を許可した。その後、付属教会の建造はオドン、ジェルヴェ両修道院長のもとで、1040年から1090年まで続いた。
13世紀にはフランス王ルイ9世の弟である伯爵アルフォンス・ド・ポワティエが、修道院施設建造のための資金援助を行った。その後、百年戦争中はイングランド側、フランス側と所有者を変えつつも繁栄した。
ユグノー戦争期には、カトリックプロテスタント双方が所有をめぐって対立し、1562年と1568年にはプロテスタント側がスタールやオルガンを焼き払ったことで荒廃した。さらには、修道院施設維持を目的とする収入にしか関心のない非聖職者の修道院長たちが任命されたことで荒廃に拍車がかかった。17世紀初頭にはそうした修道院長の一人によって、石材として売り飛ばすために一部の施設が破壊された。こうして、12世紀から13世紀に建てられた施設や回廊の多くが失われた。1611年には、修道院長アンリ・ド・ヌシェズが修道士たちを追い出し、私物化した。ただし、彼は1640年にルイ13世の命令で追放された。
こうした長い荒廃の時期は、ヌアイエ=モーペルチュイの修道院から派遣されたサン・モール修道会士たちが落ち着くことで、ひとまずおさまった。1640年から1692年までの間に付属教会の修復と新施設の建造が行われた。1世紀のうちには本来の機能を取り戻したが、フランス革命の勃発によって、またも荒らされた。付属教会は憲兵たちの宿舎になり、中庭の回廊では革命祭が執り行われた。1792年には付属教会は小教区の教会となり、最後まで残っていた4人の修道士たちも去った。
1833年に、当時の市長がひび割れをふさいだり、壁画を塗り直させようとしていた時に、ちょうど県知事アレクシス・ド・ジュシユーが訪れた結果、史跡巡視官 (l'inspecteur général des monuments historiques) リュドヴィク・ヴィテに警告が発せられ、付属教会の保護が検討された。1836年に史跡巡視官プロスペル・メリメが喫緊の修復の必要を提起し、1840年には修復に着手されたことで、1849年にはひとまずの救済が成功したと見なされた。
1983年にはユネスコの世界遺産に登録され、1990年には国際壁画センター (Centre International d'Art Mural) が創設された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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