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サヴェリオ・メルカダンテ : ウィキペディア日本語版 | サヴェリオ・メルカダンテ
サヴェリオ・メルカダンテ(Giuseppe Saverio Raffaele Mercadante、1795年9月16日アルタムーラ - 1870年12月17日ナポリ)は、イタリア人の作曲家。オペラ作曲家として特に有名。 バーリ近郊に生まれ、ナポリで音楽を学ぶ。はじめは器楽曲の作曲に興味を示すも、ロッシーニの勧めもありオペラ作曲を開始、処女作『ヘラクレスの神格化』''L'apoteosi d'Ercole''は好評をもって迎えられた。1821年にミラノで初演された第7作『エリザとクラウディオ』''Elisa e Claudio ossia L'amore protetto dall'amicizia''はイタリア国外でも上演される大成功作となる。その後、ウィーン、マドリッド、リスボンおよびパリへの進出の企てはいずれも成功とはいえなかったが、故国イタリアに戻って上演した『スペインの女王カリテア』''Caritea, regina di Spagna''(初演1831年、ヴェネツィア)、『パリのノルマン人』''I normanni a Parigi''(1832年、トリノ)、および彼の最高傑作とされる『誓い』''Il giuramento''(1837年、ミラノ)、それに『ヴェスタの巫女』''La vestale''(1840年、ナポリ)はいずれも大成功した。 ロッシーニのオペラ界からの引退、ベッリーニの早世もあって、19世紀半ばでもっとも人気のあるイタリア・オペラ作曲家であった。晩年には失明したが、口述筆記で作曲を続けた。1870年、ナポリにて没。その晩年にあっては、自らの地位を脅かしつつあったヴェルディに対して嫉妬を覚えたらしく、陰に陽に妨害工作を行ったともいう。実際、彼が没してヴェルディがその地位を確立した19世紀後半以降、メルカダンテのオペラは時代遅れとみなされ、歌劇場のレパートリーからほとんど姿を消してしまった。 彼はまたフルートやクラリネットのための協奏曲やソナタ曲も数曲作曲しており、彼のオペラが顧みられることの少なくなった現代ではむしろそれらの器楽曲によって、より記憶される存在になっている。特に、5曲のフルート協奏曲のうちホ短調の曲は、終楽章『ロシア風ロンド』がイージーリスニングに編曲されるなどして有名。
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