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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
サニア・ミルザ(Sania Mirza, ثانیہ مرزا, , 1986年11月15日 - )は、インド・ムンバイ出身の女子プロテニス選手。2009年の全豪オープンと2012年の全仏オープン、2014年全米オープンの混合ダブルス優勝者。これまでにWTAツアーでシングルス1勝、ダブルス32勝を挙げる。自己最高ランキングはシングルス27位、ダブルス1位。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。(日本語では、英語表記を単純にカタカナ読みした「サニア・ミルザ」という呼び方が最も普及しているが、現地語表記での長短母音の区別などを考慮した場合“サーニヤー・ミルザー”の読みが近くなる。) == 来歴 == ミルザはインドのイスラム教徒(ムスリム)の家に生まれ、6歳からテニスを始めた。2003年にプロ転向。2004年末の時点で、彼女のシングルス世界ランキングは206位であった。2005年2月、故国インド・ハイデラバード大会の決勝でアリョーナ・ボンダレンコ(ウクライナ)を 6-4, 5-7, 6-3 で破り、インド人女性として最初のWTAツアー大会シングルス優勝を達成する。半年後の全米オープンで、ミルザはマリア・シャラポワとの4回戦まで進出した。現時点では、これが彼女の4大大会シングルス自己最高記録である。その後来日し、ジャパン・オープンでベスト4に入った。 その後の彼女は、シングルスよりもダブルスの分野で多くの好成績を出してきた。4大大会女子ダブルスの分野ではベサニー・マテック(アメリカ)と組んで、2007年全米オープンと2008年ウィンブルドンの女子ダブルス準々決勝に進出した。2008年北京五輪でオリンピックのインド代表選手に選ばれたが、シングルス1回戦・ダブルス2回戦敗退に終わる。2009年の全豪オープン混合ダブルス部門で、サニア・ミルザはマヘシュ・ブパシとペアを組み、2007年全仏オープン混合ダブルスの優勝経験を持つアンディ・ラム(イスラエル)&ナタリー・ドシー(フランス)組を 6-3, 6-1 で破って初優勝を決めた。これはインド人女性による最初のグランドスラム・タイトルである。ミルザとブパシは前年の全豪オープン混合ダブルスで、ネナド・ジモニッチ(セルビア)&孫甜甜(中国)組に敗れて準優勝になったが、2年連続の全豪混合ダブルス決勝でついにタイトルを手中に収めた。 2011年全仏オープンでミルザはエレーナ・ベスニナ(ロシア)と組み初の4大大会女子ダブルスの決勝に進出した。決勝ではアンドレア・フラバーチコバ&ルーシー・ハラデツカ組(ともにチェコ)に 4–6, 3–6 で敗れ準優勝となった。2012年全仏オープンでは混合ダブルスでマヘシュ・ブパシと組み決勝に進出。決勝ではサンティアゴ・ゴンサレス(メキシコ)&クラウディア・ヤンス=イグナシク(ポーランド)組を 7–6(3), 6–1 で破り2度目の4大大会混合ダブルスタイトルを獲得した。 2013年からミルザはダブルスに専念している。2014年全米オープンではブルーノ・ソアレスとの混合ダブルスで決勝に進出し、アビゲイル・スピアーズ&サンティアゴ・ゴンサレス組を 6–1, 2–6, で破り4大大会混合ダブルス3勝目を挙げている。 2015年はマルチナ・ヒンギスとのペアでウィンブルドン、全米オープンなど10勝を挙げダブルス世界ランキング1位になった。 ミルザはそのルックスと実力から、インドの国民的なアイドルとなり、そのファンはマスコミから“サニア・マニア”と呼ばれている。そのファッションや発言も人気があり、アクセサリーの鼻輪がチャームポイントで、メッセージを表現したTシャツを着ることでも知られている。彼女は2005年度のタイム誌の「アジアのヒーローベスト50」に選ばれた。しかし、地元インドのイスラム法学者が、彼女のテニスウェア姿を「イスラム教徒らしくない、はしたない格好」だと非難し、それに関するファトワーを出したことで一時期騒がれた。2010年、ミルザはパキスタンのクリケット選手と結婚した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「サニア・ミルザ」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Sania Mirza 」があります。 スポンサード リンク
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