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サーンキヤ学派(サーンキヤがくは、、Sāṃkhya)とは、ダルシャナ(インド哲学)の学派のひとつで、シャド・ダルシャナ(六派哲学)の1つに数えられる。世界の根源として、精神原理プルシャ(神我〔 『井上円了選集 第7巻』「印度哲学綱要」 井上円了 東洋大学 国際哲学研究センター〕、自己〔宮元啓一『インドの「二元論哲学」を読む』 春秋社、2008年〕)と物質原理プラクリティ(自性、原質)という、2つの究極的実体原理を想定する。厳密な二元論であり、世界はプルシャの観照を契機に、プラクリティから展開して生じると考えた。 サーンキヤ学、あるいはサーンキヤとも。またसांख्य サーンキヤは「数え上げる」「考え合わせる」という意味で、数論派、数論学派とも〔中国語では「数論」「数论」としている。日本の古い文献では「数論派」や「数論学派」などとするほか、時に仏教の立場から「数論外道」としている文献もある。〕。 また、夏目漱石に影響を与え、無関心こと非人情をテーマにした実験的小説『草枕』が書かれた。 == 歴史 == 「サーンキヤ」という語は『マハーバーラタ』において、知識によって解脱するための道のことを意味していた〔『哲学思想事典』岩波書店、1998年 pp.582-583 茂木秀淳執筆担当〕。 時系列的に古いところから説明すると、サーンキヤ学派を開いたのはカピラでその弟子にパンチャシカがいた、とされている。だがカピラやパンチャシカについて伝承されていることはあまりに伝説的で、彼らについて確かなことはよく分かっていない〔。サーンキヤ思想を特徴づけている二元論的な考え方は、カピラが思いついたといったものではなく、時代を遡れば『リグ・ヴェーダ』にあったものである〔。サーンキヤの特徴的な諸概念は『マハーバーラタ』の一部をなす『バガヴァッド・ギーター』(紀元前数世紀ころの文献)に残されている。他に、サーンキヤ思想に言及するものには「モークシャ・ダルマ」、医学書『チャラカ・サンヒター』などがある〔。仏教の『ブッダチャリタ』でも言及されている。こうした資料によって、ひとことでサーンキヤと言っても、初期には様々な説が含まれていたことが判っている〔。そしてそれらの様々な説が3世紀ごろ、ヴァールシャガニヤの『シャシュティ・タントラ』において体系化され、教義化したのだろうと考えられている(ただし、『シャシュティ・タントラ』は現存せず、その内容については、あくまで他の文書内での言及をもとにして推察されているにすぎない)〔。4~5世紀ころに、イーシュヴァラクリシュナによって『サーンキヤ・カーリカー(頌、じゅ)』という、学説綱要が書かれたが、これは現存する最古のテキストである。この書は「『シャシュティ・タントラ』の要点をまとめた」とも語られるが、実際には『シャシュティ~』の後に生まれた思想も含めて解説されている〔。ここまでが「古典サーンキヤ」と呼ばれている。 15世紀ころに『サーンキヤ・スートラ』、16世紀ころに『タットヴァ・サマーサ』が書かれた。これらの内容は古典的学説に沿ったものである。このころには、サーンキヤ学派は衰退しており、ヴェーダンタ学派が優勢になっていた。16世紀後半になるとヴィジュニャーナビクシュが『プラヴァチャナ・バーシャ』という、『サーンキヤ・スートラ』についての注釈書を著したが、これは勢力優勢なヴェーダンタに追いつくために有神論的な考え方を採用したものである〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「サーンキヤ学派」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Samkhya 」があります。 スポンサード リンク
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