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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana) ・ 朝 : [あさ, ちょう] (n-adv,n-t) morning
ザイヤーン朝(アラビア語 : الزيانيون al-Zayyānīyūn ; بنو زيان Banū Zayyān)は、アルジェリアのトレムセンを中心にマグリブ地方の中部を支配したベルベル人のイスラム王朝(1236年 - 1550年)。アブドゥルワード(アブド・アル・ワード)朝ともいう。 == 歴史 == === 建国 === ザイヤーン朝はベルベル系遊牧民のザイヤーン家を母体とする。ザイヤーン家はザナータ族内では傍流の位置にあり、その力は微弱であった〔I.フルベク「マグレブにおける政治的統一の崩壊」『ユネスコ・アフリカの歴史』4巻上、141頁〕。12世紀前半、マラケシュを首都としてムワッヒド朝((1130年 - 1269年)が建国されると、ザイヤーン家は従属を誓ってオラン地方に領地を与えられていた〔佐藤編『西アジア史 I アラブ』、254頁〕が、トレムセン総督を務めていたヤグムラーサン・イブン・ザイヤーン(アブー=ヤフヤー)の時代の1236年、ムワッヒド朝の衰退に乗じてスルターンを自称して独立〔、アトラス山脈中の盆地に所在する交通の要衝トレムセンを都として現在のアルジェリア北西部を支配する王朝を開いた。 トレムセンは、地中海とサハラ砂漠、アルジェリアとモロッコを結ぶ要地に位置し、古くから交易のさかんな地であった〔藤井(2004)〕が、建国初期の1242年、イフリーキヤ(現チュニジア)のベルベル人王朝ハフス朝(1229年 - 1574年)の建国者アブー・ザカリーヤー1世によってトレムセンを占領された。このとき、ザイヤーン朝はいくつかの条件を呑むことによってトレムセンが返還されている。また、ヤグムラーサンは在位中2度にわたってモロッコ南東部のシジルマサを攻撃、1257年の攻撃には失敗したが、1264年には制圧に成功し、モロッコに本拠を置くベルベル人の国家マリーン朝(1196年 - 1465年)に占領されるまでの間、王朝はトレムセンとシジルマサというサハラ交易の中心地を2つ有することとなった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ザイヤーン朝」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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