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ザイン・アル=アービディーン・ベン・アリー(Zine El Abidine Ben Ali , 1936年9月3日 - )は、チュニジア共和国の政治家、軍人。大将。1987年より23年以上にわたって同国第2代大統領を務めたが、2011年1月14日にサウジアラビアへ亡命、政権は事実上崩壊した。日本語ではジン・アビディン・ベンアリの表記も見られる。 == 経歴 == ハンマーム・スーサ出身。男子6人、女子5人の大家族で育った。スーサの中学校で学び、上級生になると独立運動に加わった。ベン・アリーは、青年組織に入り、社会主義ドゥストゥール党の支部間の連絡係となった。数回逮捕され、刑務所に入れられ、尋問された。 チュニジア独立後、国軍の中核メンバーとして召集され、フランスのサン・シール陸軍士官学校に留学した。後にフランスのシャロン・ナ・マルヌ砲兵学校、アメリカの情報・保安学校、防空学校でも学んだ。 1958年からチュニジア軍参謀本部で勤務。最後の軍歴は、軍事保安局長だった。1974年、駐モロッコ駐在武官に任命。1977年、帰国後、国防相官房長となった。同年12月、国家保安局長官に任命。 1980年4月、駐ワルシャワ大使に任命。帰国後、1984年1月、国家保安局長官に再任。同年11月、国家安全保障問題担当国家書記に任命。1986年4月28日、内務相に任命。 1986年6月、与党社会主義憲政党第12回大会において、政治局員に選出されると同時に、副書記長となった。1987年中盤、内閣改造の際、ハビーブ・ブルギーバは、ベン・アリーを首相(兼内務相)に指名し、事実上の後継者とした。また、社会主義ドゥストゥール党書記長ともなった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ザイン・アル=アービディーン・ベン・アリー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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