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ザップ・ママ : ウィキペディア日本語版
ザップ・ママ

ザップ・ママ(Zap Mama)は1990年に結成されたマリー・ドルヌを中心としたベルギー出身のミュージック・グループ。
初期はドルヌのルーツであるアフリカ音楽に根差したコーラス・ワークを中心とした楽曲を作っていた。現在はマリー・ドルヌのソロ・プロジェクトとして活動しており、ネオ・ソウルヒップ・ホップ等の影響を受けたソウルミュージック)に傾倒した楽曲を作っている。
== バイオグラフィ ==
マリー・ドレヌはベルギー人の父親とザイール人の母親の元、ベルギーより独立して間もないコンゴ(旧ザイール)に生まれる。父親はコンゴ動乱に巻き込まれ彼女が幼い頃に亡くなる。母親は白人と結婚したという事から迫害を受けたため、小柄で知られるアフリカの原住民のピグミー族の元に子供達と共に逃げ込んだ。この地でドレヌは育ち、後にベルギーのブリュッセルへと越した。母親は子供達にピグミー族の伝統音楽であるポリフォニック・コーラスを教え込もうとしたが、ドレヌはスティーヴィー・ワンダー等のソウルミュージックに夢中で、ピグミー族の音楽には見向きもしなかった。成長するに従いピグミー族の音楽に興味を持ち、18歳の時にザイール(この時はコンゴよりザイールに名前を戻している)に帰国し、ピグミー族の音楽に改めて触れることになる。ベルギーに戻ると、1990年に女性のみのクインテット構成となるア・カペラコーラス・グループ、ザップ・ママを結成した。
最初はライヴを中心として活動、1991年にベルギーのインディーレーベルよりセルフ・アルバムを発表し、デビューした。このアルバムはベルギーで15,000枚、ヨーロッパ全体で100,000枚を売り上げた。このアルバムは北米にも''Adventures in Afropea''というタイトルで発売され、全米チャートのワールド・ミュージック部門で19週連続1位を記録、1993年グラミー賞にノミネートされた。1994年に2人が脱退しサリー・ニョロ(現在はソロ活動している)ともう一人を迎え、''Sabsylma''を発表。これを最後にグループ体制からドレヌのソロ・プロジェクトに切り替え、1997年に''7''を発表。ネオ・ソウルにより影響された楽曲を発表するようになる。1999年発表の''A Ma Zone''は前作と同じ路線のアルバムとなる。
2000年に活動拠点をニューヨークに移す。ザ・ルーツフィラデルフィアのミュージシャンとも関係が深く、エリカ・バドゥDJ KRUSHスピア・ヘッドといったミュージシャンのアルバムにも参加した。2004年に''Ancestry in Progress''を発表、エリカ・バドゥやザ・ルーツのクウェストラヴ等が参加している。2007年にはコンテンポラリー・ジャズ・レーベルとしても知られているヘッズ・アップに移り、''Supermoon''を発表、アフロビートの創始者フェラ・クティの片腕として知られるドラマートニー・アレンや、ベーシストとしてミシェル・ンデゲオチェロウィル・リー等が参加している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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