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ザナドゥ・ハウス(''Xanadu Houses'' )は、アメリカ合衆国で建設された一連の実験住宅。住宅におけるコンピュータ化と自動化を先駆的に企図したものであった。建築計画は1979年に開始され、1980年代初頭において3棟が、それぞれアメリカ国内の異なる場所(フロリダ州キッシミー、ウィスコンシン州ウィスコンシンデルズ、テネシー州ガトリンバーグ)に建設された。設計、施工において斬新な技法が用いられ、1980年代のうちには人気の観光スポットとなった。 ザナドゥ・ハウスにおいて特徴的であるのは、構造体としてコンクリートではなく、ポリウレタン断熱フォームを用いることにより、施工の簡便化、工期短縮、低価格を同時に実現していることである。人間工学に基づいた設計がなされ、部分的にはホームオートメーションを先取りする点も見られる。建築家ロイ・メイソンによって設計されたキッシミーのザナドゥは最も有名であり、最盛期には一日に1000人の見学者が訪れた。ウィスコンシンデルズとガトリンバーグの棟は1990年代初頭に早くも閉鎖、取り壊しとなり、残ったキッシミーのザナドゥ・ハウスについても、1996年に閉鎖、2005年10月に解体された。 == 経緯 == ザナドゥ・ハウスのコンセプトを作り上げ、硬質の断熱材で住宅を作り、住み始めたのはボブ・マスターズという人物である。マスターズは、ザナドゥ・ハウスを手がける前は、インフレータブル・バルーンを用いた空気膜構造の住宅を設計、施工していたが、その後断熱材を構造躯体とした最初の例である、建築家スタン・ノード・コノリーによるデンバーのキッシンジャー邸に触発されたのである。1969年、マスターズは、後にザナドゥ・ハウスで用いるのと同じ方法によって、自邸を建設する。激しい吹雪の中ではあったが、完成までに二日半しか要しなかった。断熱フォームを用いた住宅が実用に耐え得ると確信したマスターズは、国内各地にモデルハウスを建設することを決意する。マスターズのビジネスパートナーであったトム・ガッセルは、サミュエル・テイラー・コールリッジの幻想詩「クブラ・カーン」に登場する、クビライの夏の都に因み、このモデルハウスをザナドゥと名づけた。ザナドゥは、映画「市民ケーン」に登場する大邸宅の名前でもある。 最初のザナドゥ・ハウスは、1979年ウィスコンシン・デルズに建てられたものである。設計は、建築家スチュワート・ゴードン、施工はボブ・マスターズによる。建築面積約370 のジオデシック・ドームの形状をしており、竣工後最初の夏には10万人もの人々が、見物に訪れた。 最も有名なザナドゥ・ハウスは、ロイ・メイソンの設計による二例目である。マスターズは、1980年トロントで開催された未来会議でメイソンに出会う。メイソンは、ザナドゥ・ハウスのプロジェクトに参加する以前から、バージニア州で同じく断熱材を構造体に用いる類似の実験に携わっていた。メイソンとマスターズは、ともに人間工学、ユーザビリティ、エネルギー効率を重視した、他の実験や論文に影響を受けていた。黒川紀章の中銀カプセルタワーに代表されるメタボリズムの作品や、ジャックス・ビューフスのガラス繊維強化プラスチックによって水に浮く水上住宅、ジャックス・ラウジリーによる水中住宅、1970年代に建てられた、地面を断熱材として利用するドン・メッツ自邸などが、それである。ザナドゥ・ハウスの50年前、シカゴ万博で展示された「1933年明日の住宅」展においてすでに、エアコン、強制空気加熱、遮断器など、さまざまな革新的設備は登場していた。 メイソンは、住宅は外部のさまざまな事象から身を守るための、不動かつ受動的なシェルターに過ぎないという人々の考えを変えなければならないという信念を持っていた。「住宅を総合的な有機的システムとして見ている者は誰もいない。住宅に知能を持たせること、各部屋に知能を持たせることは可能だ。」とは、雑誌「The Futurist(未来主義者)」の編集者でもあったメイソンの言葉である。一棟の建設についての見積価格は30万ドル。メイソンは8万ドルの低価格バージョンも計画しており、コンピュータを使用した住宅が高価ではないことを示そうとしたが、低価格バージョンは実際に建設されることはなかった。 1982年10月1日、ウォルト・ディズニー・カンパニーはフロリダ州にエプコットをオープンした。マスターズとメイソンは、ここからほんの数 km離れたキッシミーの地にザナドゥ・ハウスを建てることを決める。使用コンセプトの研究にさらに時間を費やした結果、1983年ついにザナドゥ・ハウスはオープンした。建築面積は約560 m。一般の住宅よりもかなり広い面積となったのは、ショーケースとしての傾向が強いためである。1980年代の半ばごろの最盛期には、一日1000人以上もの人々が、キッシミーのこの新しいアトラクションに連日詰め掛けた。3つ目のザナドゥ・ハウスはテネシー州のガルトリンバーグに建設された。ザナドゥ・ハウスがアトラクションとしてオープンすると、旅行会社はこれを「未来の家」としてパンフレットを作成し、宣伝広告を行った。 しかしながら1990年代初期には、ザナドゥ・ハウスは集客力を失っていく。原因は、使用されたテクノロジーが急速に陳腐化したことであり、結果としてウィスコンシンとテネシーのハウスは取り壊されてしまう。一方でキッシミーのザナドゥ・ハウスは引続きアトラクションとして運営されたが、それも1996年には閉鎖された。閉鎖後のハウスは、1997年オフィスおよび倉庫として売りに出されたが、結局そうした用途に使われることはなく、アトラクションとして閉鎖された後はまったくメンテナンスされずにさまざまなカビに侵される状態であった。2001年再び売りに出された際の希望価格は200万ドル。それから数年、ホームレスが住み着いていたが、2005年遂に取り壊された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ザナドゥ・ハウス」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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