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ザベル1世 ( リダイレクト:ザベル (キリキア・アルメニア王国女王) ) : ウィキペディア日本語版
ザベル (キリキア・アルメニア王国女王)[よ, せい]

ザベル()またはイザベル(1211年 - 1252年1月23日) は、キリキア・アルメニア王国の女王(在位:1219年 -1252年)である。アルメニアにおける悲劇の女性として知られる。
== 生涯 ==
イザベルは、キリキア・アルメニア王国の王家、ライムンド家に生まれた。父であるレヴォン2世が1219年に急死すると、わずか7歳だったイザベルは、女王として即位することとなる。その後、摂政となったアルメニアの大貴族ヘトゥム家のコスタンディン・バベロンは専横を極め、イザベラの夫としてアンティオキア公ボエモン4世の息子フィリップを選んだ。しかし、1224年にコンスタンティンは自らの意向に沿わないフィリップを投獄して殺害した。
コンスタンティンは自らの息子ヘトゥムと結婚するようにイザベルに迫った。イザベルはその意に従わず、コンスタンティンのもとから逃れてセレウキア修道女となった。だが、コンスタンティンはセレウキアにおいてイザベルを捕らえ、連れ戻して還俗させた。コンスタンティンはイザベルを牢獄に監禁して、ヘトゥムとの結婚を強要した。囚われの身となったイザベルはヘトゥムとの結婚をなお拒んだが、ヘトゥムによりたびたび凌辱されて妊娠し、ついに1226年にヘトゥムとの結婚を受け入れた。ヘトゥムは王として即位し、ゼベルを形式上の共同統治者とした。こうして、ヘトゥム朝が成立した。
当初、この再婚はローマ教皇の認めるところとならなかったが、1237年にはローマ教皇が承認した。イザベルはレヴォン3世をはじめとする七人のヘトゥムの子を生んだ。そして、イザベルは1252年に亡くなった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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