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ザミンストレル (') とは、カナダで生まれ、アイルランドで調教された競走馬・種牡馬である。1976年から1977年にかけてイギリス・アイルランドで走り、イギリス年度代表馬になるなど活躍した。馬名ミンストレルは吟遊詩人の意。叔父にイギリスクラシック三冠馬で大種牡馬のニジンスキーがいる。) とは、カナダで生まれ、アイルランドで調教された競走馬・種牡馬である。1976年から1977年にかけてイギリス・アイルランドで走り、イギリス年度代表馬になるなど活躍した。馬名ミンストレルは吟遊詩人の意。叔父にイギリスクラシック三冠馬で大種牡馬のニジンスキーがいる。 == 経歴 == ノーザンダンサー産駒らしく、15ハンド3インチ(約160センチメートル)とあまり大きくない体格をしていた。ケンタッキー州のキーンランドセレクトセールでロバート・サングスターに20万ドルで競り落とされると、ヴィンセント・オブライエンのもとに預けられる。僚馬にはザミンストレル引退後に活躍するアレッジドもいたが、アレッジドが遅咲きの名馬だったのに対して、ザミンストレルは早く引退したためいちども対戦していない。 2歳時は3戦3勝。デューハーストステークス (G1) などに勝っている。翌春は初戦2000ギニートライアルステークスを勝ち、イギリスとアイルランドの2000ギニーを連戦するも3着と2着。エプソムダービーでは勝負強いところを見せ、ホットグローヴとの叩き合いを制した。続くアイリッシュダービーも1馬身半差で連勝した。古馬との初対戦となるキングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークスでもオレンジベイとの叩き合いを制して優勝している。 このあとはアメリカ合衆国に遠征する計画もあったが、折りしもヨーロッパで馬の感染症が流行、すでに900万ドルのシンジケートが組まれていたため種牡馬入りを優先し、そのまま引退した。 引退後はアメリカのウインドフィールズ牧場で供用された。大種牡馬の多いノーザンダンサー産駒の中ではそれほど目立つ存在ではなかったが、G1馬を多数輩出し種牡馬としても成功した。1990年9月3日、蹄葉炎により安楽死。遺体はオーバーブルック牧場に埋葬されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ザミンストレル」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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