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ザリヤ
ザリヤもしくはザリア (「暁光」の意)とは、白系露字新聞の一つである。 == 歴史 == 1910年、合法的活動を目指すメンシェヴィキ清算派 (リクヴィダートル、後に祖国防衛派となる) は、月刊のナーシャ・ザリヤ(「我等の暁光」の意〔ソヴェト・ロシア辞典 P.68, P.106 ロシヤ問題研究所 1928年〕)を発行したものの、1914年に廃刊となった〔。 ポーランド人のエム・エス・レムビッチ(M.S.Lembich。社長。ルーコスヱ・スローヴオ紙で従軍記者をしていた)は、オムスクのリュビンスキーで「ナーシャ・ザリヤ」を発行した〔〔オムスク事情 P.98 外務省通商局 1919年9月23日〕。 1920年、ハルビンにおいて、レムビッチ、ケ・エヌ・シプコフ(編集長。臨時全ロシア政府国立出版部に勤務していた)、(元臨時全ロシア政府大蔵大臣)の共同出資により、日刊としてザリアが復刊された〔。商人のコワリスキーなどからの融資や、グリゴリー・セミョーノフからの補助金も受けていた〔。 1925年、シプコフとミハイノフは経営から手を引いた〔。1926年、レムビッチは、上海でシャンハイ・ザリア (Shanghai Zaria)を、天津で「ナーシャ・ザリヤ」(Наша Заря、ナーシャ・ザリャー)を発行した〔。1929年、同業他社のルーコスヱ・スローヴオとルーボルの権利を約半数取得した〔「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.B02031064800、外国新聞、雑誌ニ関スル調査雑件/新聞調査報告(定期調査関係) 第五巻(A-3-5-064)(外務省外交史料館)」 1 昭和5年3月11日から昭和5年3月13日 〕。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ザリヤ」の詳細全文を読む
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