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ザルツブルク・モーツァルテウム大学(ドイツ語:Universität Mozarteum Salzburg)は、オーストリアのザルツブルクにある国立大学。1841年に創設された音楽と舞台芸術のための総合芸術大学である。世界的にも有名な音楽教育機関であり、多くの著名音楽家を輩出している。 1998年以前はホーホシューレ(Hochschule, 専門大学)と呼ばれていたが、オーストリアの教育改革の一環で名称がウニヴェルジテート(, 総合大学)と変わった。しかし教育機関としての内容が劇的に変わったわけではなく、モーツァルテウムの規模と教育内容は、隣国ドイツでいうところのホーホシューレに相当する。 == 設立の歴史 == 1816年、ザルツブルクはオーストリア帝国に併合された。時の皇帝フランツ1世はザルツブルク宮廷管弦楽団の再編を望んだが、経済的な問題から実現しなかった。その後もドームを中心とする宗教儀式にオーケストラはアマチュアとして演奏していたが、正式な音楽教育の機関がなかったため、楽器の修得は個人的な師弟関係に頼るほかはなく、後継者不足に悩んでいた。 このような状況の中、1841年にヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの没後50年を記念して、大聖堂音楽協会とモーツァルテウム (Salzburger Dommusikvereines und Mozarteum) がザルツブルクに設立された。設立にはフリードリッヒ・フュルスト () 枢機卿の援助のもと、モーツァルトの未亡人であるコンスタンツェ・ニッセン(再婚後の姓)も加わった。コンスタンツェは息子のフランツ・クサーヴァーをモーツァルテウムの学長に推薦したものの、委員会はこれを拒否した。理由は息子が国際的な活躍をしていないこと、また健康上の問題もあった。なお、コンスタンツェは1842年3月6日、フランツ・クサーヴァーは1844年7月29日に死亡している。ちなみにモーツァルトのもう一人の遺児カール・トーマスは父モーツァルトの遺産の多くをモーツァルテウムに寄付するなど、モーツァルテウムの発展に貢献をしている。 1842年9月4日に開催されたモーツァルト音楽祭 (Mozart Fest) がモーツァルテウムの最初の事業である。レジデンツのカラビニエーリ・ホールで開かれたこのコンサートは、モーツァルトのレクイエムK.626, ミサ曲ハ短調K.417dが演奏されたほか、クサーヴァー・モーツァルトが父モーツァルトのピアノ協奏曲第20番ニ短調K.466の独奏を演奏している。 その後、モーツァルテウムは1914年に音楽院となり、現在の大学に至る専門教育機関として発展している。また1880年、ザルツブルク市民により国際モーツァルテウム財団が設立された。こちらはモーツァルトの国際的研究機関としての活動を続けている。モーツァルテウム管弦楽団は1841年、前述の「大聖堂音楽協会とモーツァルテウム」として設立され、主にドームでの宗教儀式のために演奏していたが、1939年に大学に一旦吸収された。しかし1958年、ザルツブルク州とザルツブルク市により再興され、プロオーケストラとして独立した活動をしている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ザルツブルク・モーツァルテウム大学」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Mozarteum University of Salzburg 」があります。 スポンサード リンク
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