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ザ・キングトーンズ : ミニ英和和英辞書
ザ・キングトーンズ[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ザ・キングトーンズ ( リダイレクト:ザ・キング・トーンズ ) : ウィキペディア日本語版
ザ・キング・トーンズ[ちょうおん]

ザ・キング・トーンズ〔「ザ・キング・トーンズ」は1968年から1975年までのポリドール在籍時の表記であり、以後は「ザ・キングトーンズ」の表記が一般的である。〕(ザ・キングトーンズ、THE KING TONES、THE KINGTONES)は、1960年2月から活動する4人編成の日本の音楽グループである。『グッド・ナイト・ベイビー』『暗い港のブルース』などの代表曲をもつ一方、1950年代から1960年代前半にヒットし現在では一般にオールディーズと称される楽曲群をレパートリーの中心に据え、ドゥー・ワップと呼ばれるコーラス・スタイルを結成以来堅持し続けている。また、CMソングでも『もううしろ姿』『夕焼けレッド』など商品化された楽曲のほか、「ハウスジャワカレー」「新V・ロート」「東京ガス」「DCカード」など数多くの作品に参加している。
==経歴==

* 1958年6月〔出典:日本エンゼルレコード 『クリスマスキャロル』解説。〕、内田正人が中心となって、アマチュア・コンテストなどを通じて知り合った成田邦彦石井迪加生スミオに声がけしてプラターズスタイルのコーラスグループ結成を発案。プラターズに倣って女性ヴォーカリスト(アルト)の佐藤サエコ(愛称・さーちゃん)を加えた5人でファイブ・トーンズとしてスタート。
* 1960年2月1日、佐藤がハードスケジュールで体調を崩し脱退したため、内田・成田・石井・加生の4人で現行グループ名に改めて再スタート。後にドゥー・ワップと呼ばれる、R&Bテイストを主体としたコーラスワークと、ハイトーンのリードテナーが評判となり、NHKオーディション合格を機に放送メディアに進出〔メジャーデビュー前のNHK出演記録として下記番組が確認されている。
1962年9月30日総合テレビ「こよい歌えば」…『眠れる獅子』(ライオンは寝ている)
1963年3月26日、同「リズムは踊る」…『眠れる獅子』
1963年5月10日、同「口笛吹けば」…『毒のある蔦』(ポイズン・アイビー)
1963年10月18日、同「口笛吹けば」…『愛さずにはいられない』
1965年2月6日、同「軽音楽大会 春の序曲」(楽曲不詳)〕〔出典:NHKクロニクル放送番組表検索 〕する一方、活動拠点の米軍キャンプではプラターズ(1961年12月)、アル・アルバーツ(1962年6月)、トニー・ウィリアムズ(同)、ルー・ロウルズ〔共演時期不明。公式プロフィールに基づく。〕らと共演、年間最優秀賞ゴールデントリイ〔鳥居をあしらった楯であったとされる。出典:「ザ・キングトーンズ ファルセット王国[歌おう]所掲“THE KINGTONES” STORY」(参考文献の項参照)。〕を受賞。また、藤木孝『小さい悪魔』(テイチク NS-446)、田代みどり『彼氏の気持ちはワークワク』(同 NS-537)、三村和子『ブンガチャ人生』(同 NS-584)ほか多くの楽曲のレコーディングにバックコーラスで参加する。
* 1968年、日本人ロカビリー歌手が少なからず演歌への転向を余儀なくされていた状況からレコードデビューには消極的だったが、周囲の勧めに応じ日本グラモフォン(後のポリドール・レコード)と専属契約を結び、「30歳の新人グループ」のキャッチコピーでメジャーデビュー〔出典:各社公式プロフィール、第1回 JAPAN DOO-WOP CARNIVAL 公式プログラム「キングトーンズ物語」ほか多数。〕。同年5月に発売された『グッド・ナイト・ベイビー』が年末から翌年春にかけて大ヒットを記録。1969年11月1日、ファースト・リサイタル「愛のノクターン」を東京厚生年金会館大ホールにて開催。12月7日、第2回日本有線大賞特別賞を受賞。12月31日第20回NHK紅白歌合戦 ">第20回NHK紅白歌合戦 に出場〔なお対戦相手は同じ初出場となる奥村チヨで『恋泥棒』を歌唱している。〕。
* 1969年から1972年にかけて「NHKあなたのメロディー」〔NHKに記録されている歌唱作品は下記の通り。
1969年5月18日放送…『ジュリエットのバラード』(1970年3月22日放送「昭和44年度年間優秀作品コンテスト」でも歌われている)
1969年10月12日放送…『あなたのいない渚に』
1970年7月26日放送…『愛の喜び』
1970年12月13日放送…『思い出の町』
1971年3月28日放送…『出すあてのないラブレター』(後に『出すあてなしのラブレター』として商品化)
1971年9月5日放送…『愛は星のように』(後に『愛は風のように』として商品化)
1972年1月23日放送…『たそがれの人』
1972年9月24日放送…『別れの星影』〕〔でアマチュア音楽家の作品を、また1970年11月5日には合歓の郷屋内ホールで開催された第2回 ポピュラーソングコンテスト〔開催当時の正式名称は「'70 作曲コンクール」。〕〔作詞・作曲:田村博正『少年はいつも一人ぽっち』。出典:第2回ポピュラーソングコンテスト 〕にゲスト出演し、出場作品を歌唱する。
* 1971年、ルー・ロウルズ(3月)〔出典:Billboard誌1971年3月20日号50ページ「International Music Reports」。〕やプラターズ(4月)とサンケイホールなどのステージで共演。5月に発売された『暗い港のブルース』が有線放送などを中心に話題となり、オリコンで19位まで上昇、彼らのセカンドヒットとなる。
* 1975年3月、エメロンクリームリンスのCMソング歌唱に起用され全国オンエア、後に『もううしろ姿』としてシングル発売される。5月、大瀧詠一からのオファーに応えてレコーディングに参加したアルバム『NIAGARA MOON』(エレック NAL-0002)が発売される。9月、結成15周年記念リサイタルを久保講堂にて開催〔本リサイタルと「グッド・ナイト・ベイビーから10年…」および「FRESH 40s SING OLD DAYS HITS」を主催した「十人の会」は、レコードデビュー間もない時期に結成された後援団体であり、このほかアルバム『レゼレクト 銀河からの帰還』制作にも関与している。出典:毎日グラフ 1987年12月13日号ほか。〕。
* 1976年、NHKみんなのうたで『シンフォニック・バリエイション』〔初回放送は同年6月7日〕〔〔作詞・作曲:オスカー・ブランド、日本語詞:大島圭子、編曲:所太郎、アニメ:岡本忠成。出典: NHKみんなのうた 〕を発表〔4人編成でのグループ活動55周年となった2015年2・3月期に、同番組の企画「思い出の曲を探してリクエスト! 」により39年ぶりに再放送された。〕。
* 1978年4月、リサイタル「グッド・ナイト・ベイビーから10年…」を労音会館にて開催。10月16日、アルバム『レゼレクト 銀河からの帰還』発売を記念してライブハウス・新宿ルイードで「POPS 102曲マラソンコンサート」を開催〔開演20:00、終演0:30。〕。
* 1979年4月28日、リサイタル「FRESH 40s SING OLD DAYS HITS」を東京厚生年金会館にて開催。
* 1980年6月、結成20周年を機にSMS(サウンド・マーケティング・システム)に移籍。大瀧詠一プロデュースによるシングル盤『DOO-WOP! TONIGHT』を発売。7月4日横須賀米軍基地内ベニーデッカー・シアターで開催された結成20周年記念公演をライブ録音〔アルバム『ザ・キングトーンズ/インディペンデンス・デー (アット・ベニーデッカー・シアター)』。〕。7月13日京都市・円山野外音楽堂で開催された第8回宵々山コンサートに出場。10月18日ニューヨークブロードウェイビーコンシアターで開催された「ROYAL NEW YORK DOO-WOP SHOW」に日本人グループとして初めて出場〔出典:Classic Urban Harmony, LLC - The Silhouettes 〕、10月21日にはよみうりホールで凱旋帰国コンサートを開催。
* 1981年6月10日日比谷公会堂で開催された「R&B Night」にスペシャルゲストとして出演し、上田正樹らと共演。7月、株式会社R&Bステーションを設立して小澤音楽事務所から独立する一方、5都市8公演〔7月1214日:新宿・厚生年金ホール
7月17日横浜文化体育館
7月18日大阪フェスティバルホール
7月19日福岡市民会館
7月21日名古屋市公会堂〕が開催された第1回 JAPAN DOO-WOP CARNIVALでドリフターズシュレルズらと共演。
* 1982年1月、新宿ルイードで開催された「第一回 R&B GRAFFITI NIGHT」に出演し、上田正樹やウシャコダらと、7月には同じく新宿ルイードでクリスタルズコースターズと共演〔7月17日:共演=ザ・クリスタルズ
7月18日:共演=ザ・コースターズ〕する。12月、加生の脱退に伴って大川由加利が加入。
* 1983年、石井の脱退に伴って冨賀慎一郎が加入。3月、前年末より全ての音楽活動を休止して3ヶ月間に亘り連続8時間のレッスンを経た〔出典:公式プロフィール'83年度版(発行:株式会社R&Bステーション)〕“新生キングトーンズ”の初ステージが新宿ルイードで開催される。
* 1985年9月より年末にかけて放送された「ハウス・ジャワカレー」のCMソングを歌唱、翌年も同CMのサウンドロゴが引き続き使用される。
* 1987年秋から翌年春にかけて山本浩二をイメージキャラクターに起用して放送された「新V・ロート」のCMソングを歌唱、同年年末のサントリー角瓶キャンペーンCMではオリジナル曲『今夜まで待てそうもない』が起用される。
* 1988年10月1日、芝・郵便貯金ホールで開催されたコンサートをライブ録音〔アルバム『THE KINGTONES LIVE! “DOO-WOP IS HERE TO STAY”』。〕。初のCM出演となる〔出典:公式プロフィール'90年度版(発行:株式会社R&Bステーション)〕東京ガス「ガスヒーポン編」が12月20日より年末までTV・ラジオで集中オンエアされ、翌年5月にも再び放送される。
* 1989年11月より一年に渡って全国ホールコンサートツァー〔同年11月、広島県岡山県
翌年3月、甲信越地区
同6月、北海道縦断〕を開催。
* 1990年7月22日、結成30周年記念リサイタルを東京簡易保険会館(ゆうぽうと)で開催。12月、東京バナナボーイズのプロデュースによる「サントリー・マテウスロゼ」CMソング『100万の想い出』をCDシングルで発売。カップリング曲には同年10月よりフジテレビ系で放送された平日午前の情報番組奥さまお手をどうぞ!」の主題歌を収録。
* 1991年8月、メンバー全員によるア・カペラ映像を南紀白浜および那智勝浦で撮影した和歌山県イメージCMが放送開始。同作CMソングのCDシングル『WAKAYAMA』は当初地域限定で発売されたが、翌年5月に改めて全国リリースされる。9月、ザ・ヴィーナスのメインヴォーカリストだったコニーをゲストに迎えて全国コンサートツァー〔同年9月9日、札幌・北海道厚生年金会館(現・ニトリ文化ホール)
翌年2月22日三鷹市公会堂など。〕を再開。
* 1995年4月、かつて結成15周年記念企画として山下達郎〔なお、1982年にフランク永井のシングル『WOMAN』(ビクター SV-7222)のB面収録曲として発表された『愛のセレナーデ』が、同様に本来キングトーンズのために山下達郎により書き下ろされた楽曲であることが後年、山下により語られている(2015年4月12日放送 TOKYOFM山下達郎サンデー・ソングブック」)。〕と伊藤銀次が書き下ろした『DOWN TOWN』をはじめ、大沢誉志幸佐野元春などニューミュージック系アーティストの作品を取り上げたアルバム『SOUL MATES』を発売。同月放送開始のNHK教育テレビむしむしQ」では声優兼コーラスグループキャラクター「ザ・クリケッツ」役で出演。
* 1997年1月、つのだ☆ひろのプロデュースによるCDシングル『I'M ON MY WAY』を発売、カップリング曲には『グッド・ナイト・ベイビー』のラップ・ヴァージョンが収録される。5月、大川に代わって石塚勇が加入。
* 1998年4月、前年10月より南果歩きたろうの出演でシリーズ化して放送されていた「サントリー新レッド」〔出典:サントリーニュースリリース「サントリーウイスキー新レッド受注好調 10月1日からTVCF放映開始」 〕のCMソング『夕焼けレッドで帰りましょう』をシングルリリース。この後に冨賀に代わって川島豊が加入。7月25日より、第三期メンバー体制となって初のホールコンサートを開催〔入間市市民会館など。〕。11月28日封切となった松竹制作の劇場映画「ショムニ」ではストリートミュージシャン役で出演、同作のサウンドトラック盤もリリースしている。
* 2000年10月7日、結成40周年記念コンサート「DOO-WOP SUPER LIVE」をル・テアトル銀座で開催。
* 2005年より3年連続でフジロックフェスティバルに出場〔2005年7月29日オレンジコート
2006年7月29日グリーンステージ
2007年7月29日フィールド・オヴ・ヘヴン〕。
* 2012年4月29日ARABAKI ROCK FEST.12に「ザ・キングトーンズ featuring ジミー入枝」〔内田正人は健康上の都合により参加せず。出典:久しぶりのキングトーンズ - 超低音歌手日記 〕として出演。
* 2014年、二年半ぶりとなるコンサートが上田正樹とのジョイントで企画され、「ザ・キングトーンズ featuring ジミー入枝」〔内田正人は病気療養中のため出演せず。出典:ザ キングトーンズ出演します。 - 超低音歌手日記 〕として、10月5日世田谷区民会館で開催された「第8回世田谷にみどりいっぱいチャリティ講演&コンサート 」に出演、12月20日には深谷市民文化会館〔出典:深谷市民文化会館主催事業 〕で「上田正樹&ザ・キングトーンズ スペシャル・ライブ」〔但し川島の欠場に伴い、「ザ・キングストーンズ」(石塚勇の項を参照)のメンバーである中野翔太が代演。〕を開催。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ザ・キング・トーンズ」の詳細全文を読む




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