|
フェイセズ (Faces) は、1970年代のイギリスのロックバンド。 彼らのヒット曲としては「ステイ・ウィズ・ミー」「ユーアー・ソー・ルード」「リアル・グッド・タイム」「いとしのシンディ」「デブリ」「玉突きリチャード」「リッチモンド」等が挙げられる。 2012年に、スモール・フェイセスと共にロックの殿堂入りを果たした。 ==来歴== スティーヴ・マリオットがハンブル・パイを結成するためスモール・フェイセスから脱退し、残されたロニー・レーン、イアン・マクレガン、ケニー・ジョーンズの三人にジェフ・ベック・グループからロッド・スチュワート、ロン・ウッドが加わり、フェイセズが結成された。 ロッド・スチュワートのソロとしての活動がグループよりも成功するようになると、ロッド・スチュワート・アンド・フェイセズとしてバンドはロッドのバックバンド的存在となっていく。そのことに幻滅を感じたロニー・レーンは1973年にバンドを脱退し、彼の後任にはフリーのベーシスト、山内テツが加入した。フェイセズの最終アルバムは『ウー・ラ・ラ』であったが、ロッドは音楽誌に同作を非難したコメントを発表し、他のメンバーはそれに憤慨した。ライブアルバム『ロッド・スチュワート & フェイセズ / ライヴ』はその録音の悪さから評論家たちに酷評された。1975年にはロンがストーンズと活動を始め、スチュワートと他のメンバーの相違が明確になった。結果としてバンドは解散した。 フェイセズ解散後メンバーは様々な経歴を積む。ウッドはローリング・ストーンズにサポートメンバーとして参加した。レーンはスリム・チャンスを結成した後ソロとして活動し、その後多発性硬化症に罹り1997年に肺炎により死去する。ジョーンズはキース・ムーン死去後のザ・フーに加入する。マクレガンも同様にフーへの加入がピート・タウンゼントによって考えられていたが、当時ローリング・ストーンズのツアーに参加していた。彼はキース・ムーンの前妻と結婚し、アメリカに移りバンプ・バンドを結成した。そしてセッション・ミュージシャンとして成功する。スチュワートはソロ・シンガーとして大きく成功することとなった。 ザ・フーやローリング・ストーンズのような同時代のバンドと比較すると、フェイセズの成功は若干地味目であるが、彼らはパンク・ロックの誕生に重大な役割を果たしたと言える。彼らの精力的で、そしてしばしばアルコールの多く入ったライブ・パフォーマンスおよびスタジオ・アルバムはザ・ダムドやニューヨーク・ドールズ、そしてセックス・ピストルズといったバンドの結成に大きな影響を与えた。パンク・ムーブメントの終了に続いて、フェイセズの影響はレプレイスメンツからブラック・クロウズ、最近ではパール・ジャム、シャーラタンズ、ホワイトアウト、ステレオフォニックスといったロック・リバイバリストたちに影響を与えている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「フェイセズ」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Faces (band) 」があります。 スポンサード リンク
|