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ザ・ブルート : ミニ英和和英辞書
ザ・ブルート[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ブル : [ぶる]
 【名詞】 1. bull 2. (n) bull
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ザ・ブルート ( リダイレクト:バグジー・マグロー ) : ウィキペディア日本語版
バグジー・マグロー[ちょうおん]

バグジー・マグローBugsy McGraw、本名:Michael Davis1945年 - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラーノースカロライナ州シャーロット出身。
現役選手時代は巨漢のラフ&パワーファイターとして、WWWFNWAなどのメジャーテリトリーで活躍。日本にも、昭和期の各団体に参戦した。
== 来歴 ==

=== デビュー / 1970年代 ===
1960年代後半に黒人レスラーのトム・ジョーンズのトレーニングを受けてデビュー。五大湖エリアから南部テキサスフロリダ、さらにはハワイなどNWAの各テリトリーを転戦し、リングネームを様々に変えてキャリアを積む。フロリダでは覆面を被り、マスクマンザ・ビッグO(''The Big "O" '')に変身したが、マスクと髪の毛を賭けたコントラ・マッチジョー・スカルパに敗れ、覆面を剥がされた。
その後、ビューティフル・ブルータス(''Beautiful Brutus'')と名乗るスキンヘッドの巨漢ヒールとなり、1969年9月3日にグレート・マレンコを下してフロリダ地区のブラスナックル王座を獲得。1970年からは西海岸サンフランシスコ地区にてマイティ・ブルータス(''Mighty Brutus'')の名義で活動。1972年3月、このリングネームで日本プロレスに初来日し〔『全日本プロレス 来日外国人選手 PERFECTカタログ』P61(2002年、日本スポーツ出版社)〕、日本プロレス最後のワールドリーグ戦となった第14回大会に参加。ジャイアント馬場坂口征二大木金太郎のトップ3には連敗したものの、吉村道明ミツ・ヒライなどの中堅勢からは勝利を収め、外国人陣営ではゴリラ・モンスーンアブドーラ・ザ・ブッチャーディック・マードックカリプス・ハリケーンに次ぐ戦績を残した。
1973年からはザ・ブルート(''The Brute'')に改名してカナダバンクーバー地区に参戦、3月29日にジン・キニスキーからNWAパシフィック・コースト・ヘビー級王座を奪取し、以降もシーン・リーガンジョージ・ゴーディエンコとタイトルを争った。日本にもザ・ブルートとして1974年3月に国際プロレスに来日しており、ラッシャー木村グレート草津金網デスマッチで対戦。3月31日には釧路にて、ジム・ブランゼルと組んで木村&草津のIWA世界タッグ王座に金網タッグ・デスマッチで挑戦した〔『忘れじの国際プロレス』P102(2014年、ベースボール・マガジン社、ISBN 4583620802)〕。
シリーズ中は、国際プロレスに特別参戦していたジャイアント馬場とも度々対戦している〔。その後はサンフランシスコ地区に戻り、1975年1月25日にピーター・メイビアから同地区認定のUSヘビー級王座を奪取した。
1975年の下期より、「ばい菌」「害虫」などを指す蔑称の "Bugsy" を冠したバグジー・マグロー(''Bugsy McGraw'')のリングネームでWWWFに登場。キャプテン・ルー・アルバーノプレイング・マネージャーに迎え、9月6日にニューヨークマディソン・スクエア・ガーデンブルーノ・サンマルチノと対戦。以降も12月8日にメリーランド州ランドオーバー、翌1976年1月10日にマサチューセッツ州スプリングフィールドにて、サンマルチノのWWWF世界ヘビー級王座に挑戦した。WWWFではヒールの中堅として、ゴリラ・モンスーン、ボボ・ブラジルヘイスタック・カルホーンチーフ・ジェイ・ストロンボーイワン・プトスキーなどのベビーフェイス勢と対戦。ザ・ブラックジャックスブラックジャック・マリガン&ブラックジャック・ランザ)、イワン・コロフアーニー・ラッドスーパースター・ビリー・グラハムスパイロス・アリオンといった大物ヒールのパートナーにも起用され、トニー・パリシ&ルイ・セルダンが保持していたWWWF世界タッグ王座にも度々挑戦した。
1976年の終盤からはザ・ブルートの名義で中南部のNWAトライステート地区に出場し、11月から12月にかけてザ・スポイラーテッド・デビアスとトライステート版の北米ヘビー級王座を争っている。1977年はバグジー・マグローとしてオーストラリアに遠征し、ブッチャー・ブラニガンマリオ・ミラノと組んでNWA豪亜タッグ王座を獲得。同年はジャイアント馬場も海外遠征で来豪しており、4月1日にシドニー、翌2日にメルボルンにて、両者のシングルマッチが行われた(結果はいずれもマグローの反則負け)〔『Gスピリッツ Vol.22』P90(2012年、辰巳出版、ISBN 4777809846)〕。
以降、リングネームを「バグジー・マグロー」に定着させ、1978年4月には新日本プロレスの第1回MSGシリーズに参加。予選トーナメント1回戦で山本小鉄、2回戦でトニー・ガレアを破り決勝リーグに進出し、アントニオ猪木藤波辰巳上田馬之助アンドレ・ザ・ジャイアントらと公式戦で対戦した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「バグジー・マグロー」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Bugsy McGraw 」があります。




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