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レコード・プラント・スタジオ は、ゲイリー・ケルグレン(クリエイティブ・エンジニア、プロデューサー、スタジオ・デザイナー)とクリス・ストーン(レブロン化粧品の国内セールスマン)によって設立、運営されていた録音スタジオである。 == 概要 == レコード・プラントは、1968年に最初のスタジオをニューヨークのウエスト44番街321 () に。翌年2件目のスタジオをロサンゼルス () に。そして1972年に3件目をカリフォルニア州サウサリート () に構えた。しかし、1980年代にニューヨークとサウサリートのスタジオの経営者が代わったため、最終的に残ったロサンゼルスのスタジオがメイン・スタジオとなった。なお、ロサンゼルスとサウサリートのスタジオは現在別々の経営の元で運営されており、ニューヨークのスタジオはすでに閉鎖となっている。ロサンゼルスのスタジオは「ザ・レコード・プラント」、サウサリートのスタジオは「ザ・プラント」の名でも知られている。 レコード・プラントが大きな成功を収めるに至った大きな要素に、ゲイリー・ケルグレンがフランク・ザッパやジミ・ヘンドリックス、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドなどといった伝説的アーティストと築き上げた太いパイプや仕事振りのほかに、ケルグレンが追い求めた、単に快適なだけでなくアーティストの創造力を掻き立てるようなスタジオ設計があげられる。ケルグレンのスタジオ設計は、従来の録音スタジオの概念に大きな変革をもたらし、現在に見るスタジオの形を作り上げるものであった。レコード・プラントがオープンする以前のスタジオといえば、4面の白い壁に硬い木製床、椅子は折り畳み、照明は蛍光灯がお決まりであったが、ケルグレンの設計したスタジオには優れた音響性能と最先端の設備が整ったうえ、リビングのような快適性があった。そのため、アーティストをして「ここに住みたい」と幾度も言わしめるほどの空間へとスタジオを変えてしまった。ジャグジー設置のアイデアも、これまでのスタジオにはない斬新なものであった。 レコード・プラントで最初にレコーディングされたアルバムは、1968年にリリースされたジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスの『エレクトリック・レディランド』であった。その後、何年もにわたって、何百枚ものアルバムがこのスタジオでファースト・カットされた(イーグルスの『ホテル・カリフォルニア』やフリートウッド・マックの『噂』、スティーヴィー・ワンダーの『キー・オブ・ライフ』など)。1970年代にはハウス・エンジニアのシェリー・ヤクスやロイ・チカーラが、多くの地元バンドがスタートを切れるようにと、セッション・タイムや機材面でのバックアップ、デモ・テープのエンジニアリングやプロデュースを買って出た。結果的に、レコード・プラントでレコーディングされたアルバムがビルボード・チャートのトップ100の10%近くを占めるに至り、レコード・プラントのマーケティング・プランが成功した例の一つとしてあげることができる。 レコード・プラント・スタジオは、これまでにロックンロール、レゲエ、カントリー・ミュージック、パンク、ブルース、フォーク、ソウル、ザディコ、ヒップ・ホップ、ロカビリーなど、ほぼ全ての音楽ジャンルにおいてアーティストを迎え入れてきた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「レコード・プラント・スタジオ」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Record Plant 」があります。 スポンサード リンク
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