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シェイマス・ジョン・ジェームズ・"シェイ"・ギヴン(Séamus John James "Shay" Given, 1976年4月20日 - )は、アイルランド・ドニゴール州リフォード出身のサッカー選手。ポジションはGK。ストーク・シティFCに所属。 == 経歴 == 地元クラブでプレーしていた1992年、セルティックFCのスカウトに注目され、そのままセルティック・ユースに入団。セルティックではトップチームに上がる事はなく1994年にブラックバーン・ローヴァーズFCに移籍した。しかしブラックバーン在籍時代はティム・フラワーズの存在もあって僅か3試合の出場に留まり、スウィンドン・タウンFCやサンダーランドAFCにレンタルされてのプレーを余儀なくされるものの、当時ディビジョン1(2部相当)に所属していたサンダーランドでのプレーは特筆に値するものであった。出場した17試合中16試合で完封勝利を挙げる記録的なパフォーマンスを残したギヴンは、サンダーランド所属時代の1996年3月27日にダブリンで行われた対ロシア戦で代表デビューも飾り、期待の若手として高評価を受け始める。 1997年5月30日、前年までブラックバーンで指揮を執っていたケニー・ダルグリッシュに誘われニューカッスル・ユナイテッドへ完全移籍を果たす(移籍金は推定150万ユーロ)。移籍して間もなくシャカ・ヒスロップから正GKのポジションを奪い、稚拙で不安定と言われるニューカッスルのディフェンスラインを高いパフォーマンスで統率し続け、アイルランド代表においても獅子奮迅の活躍を披露した。特に2002 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選ではポルトガルとオランダを相手にスーパーセーブを連発し、アイルランド代表を2大会ぶりに本大会へ導く原動力となる。本大会においても安定したプレーが光り、決勝トーナメント1回戦でスペインにPK戦で屈したもののベスト16に食い込む大健闘を見せた。 その後も順位表の上位と中位を彷徨うニューカッスルに留まり安定したプレーを披露。2006 FIFAワールドカップの出場権は逃したものの、2005-06シーズンにはプレミア最優秀GK賞を受賞するなど活躍を続けていたが、2006年9月14日の対ウェストハム・ユナイテッド戦で相手FWマーロン・ヘアウッドと接触。治療に当たったドクターに「自動車事故に遭ったようなものだ」と言わしめるほどのケガを負ってしまうが、同年11月18日にアウェーでのアーセナル戦で復帰。好セーブを連発して試合を1-1のドローに持ち込んだ。 2009年2月1日に4年半の契約でマンチェスター・シティに移籍した。移籍金は675万ユーロ。この年は15試合に出場した。 2009年10月14日、モンテネグロ戦に出場してアイルランド代表通算100試合出場を達成した。同じ試合でケヴィン・キルバーンも100試合出場を達成した。 その後、2009-10シーズンも引き続きレギュラーとしてプレーしたが、2010-11シーズンはバーミンガム・シティFCからレンタル復帰したジョー・ハートにレギュラーを奪われた。出場機会を求めて2011年7月18日にアストン・ヴィラFCに5年契約で加入した〔Goal.com 2011年7月19日 なおアストン・ヴィラは正GKブラッド・フリーデルがトッテナム・ホットスパーFCに移籍した直後であった〕。 2012年8月13日、代表からの引退を表明した。 2011-12シーズンは負傷もあったが正GKを務め上げた。しかし2012-13シーズンは開幕から2連敗を喫し、第3節のニューカッスル・ユナイテッドFC戦からはブラッド・グザンに定位置を譲りその後はシーズン終了まで出番がなかった。新シーズンはグザンに背番号1を禅譲した。 2014年9月3日の親善試合・対オマーン代表戦で、2年ぶりに代表に復帰して先発した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「シェイ・ギヴン」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Shay Given 」があります。 スポンサード リンク
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