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シェルパ(、)は、ネパールの少数民族のひとつ。2001年時点での人口は約15万5千人で、ネパール総人口約2950万人(2008年)の0.5%を占める。 居住地は、エベレスト南麓に面したネパール東部サガルマタ県地方(エベレスト地方)で、他にインドのダージリンやシッキムにも住む。 シェルパの居住地は、世界的な観光地であり、多くの一般観光客を相手に、1年を通してホテルなどの観光業が一大産業になっている。また、選ばれたごく少数のシェルパによるヒマラヤ登山支援も世界的に知られる。 == 歴史 == シェルパの祖先はその名が示すように〔チベット語で、「シャル」( Shar、「東」の意)と「パ」( pa、「人」の意)で「東の人」( Sharpa、シャルパ)を意味する。〕もともとはチベット東部地域に居住していたが、17世紀から18世紀にその地を離れ、南に横たわるヒマラヤ山脈を越えて、ネパールに移住してきたとされる。この地は寒冷な高地であり本格的な農業は難しく、19世紀までは主に放牧や他民族との交易で生活していた。 20世紀に入り外国人のヒマラヤ登山が始まると、シェルパは高地に順応した身体を買われて荷物運び(ポーター)として雇われるようになった。その後、登山技術を磨いた彼らは案内人(ガイド)としても雇われるようになり、20世紀後半以降活発になったヒマラヤ登山では、彼ら無しではヒマラヤ登山は成立しないと言われるほど重要な存在となっている。過去においては、登山隊内のシェルパのリーダーはサーダと呼ばれ、遠征してきた諸外国の登山隊員もその意見を尊重していたが、1990年代以降、商業ベースの公募隊の登山が活発になると、お客さんと化した登山家側から消耗品扱いされるようになった。2013年4月、シェルパと欧州の登山家がエベレスト登山中に口論、暴力沙汰となる事件が発生すると、シェルパ側から地位向上や遭難時の補償を求める声が高まり、2014年4月、シェルパが13人死亡、3人が行方不明となる雪崩災害を契機に頂点に達した。この年、多くの登山隊がシェルパの離反などを理由に登山の継続を断念。シェルパ側が、多少なりとも発言権を確保した結末となった。その後、ネパール観光省は、2014年9月以降の事故時の補償拡充策として、死亡時の保険金が1万ドルから1万5,000ドルに、医療保険金を3,000ドルから4,000ドルに引き上げている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「シェルパ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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