|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana) ・ 王 : [おう] 1. (n,n-suf) (1) king 2. ruler 3. sovereign 4. monarch 5. (2) king (for senior player) (shogi) ・ 王国 : [おうこく] 【名詞】 1. kingdom 2. monarchy ・ 国 : [くに] 【名詞】 1. country
シエンクワーン王国(Xiangkhouang)は、現在のラオス・ベトナム国境にあった半独立の王国。首都はシエンクワーン(シェンクワン、現在のシエンクワーン県シエンクワーン郡)。 == 概略 == シエンクワーンは、おおよそ現在のラオス・シエンクワーン県、及びベトナム・ゲアン省にまたがる地域であり、長年にわたってラーンサーン王朝の支配下にあった。 1787年、ベトナムに西山(タイソン)朝が成立すると、西山朝の太祖・阮文恵は、ラオス方面に勢力を於くことを画策した。同年、阮文恵は、当時ゲアン(乂安)にいたカイサーンに兵を率いてシエンクワーンに侵入させ、同地の領主に西山朝への入貢を要求した。これに対し、ラーンサーン王朝の末裔であるヴィエンチャン王国国王のナンタセーン・ポンマラオはすぐにシエンクアーンへ派兵し、カイサーンの軍勢を制圧した。しかし、翌1788年には3000の兵を従えたカイサーンが再び侵入し、結局ナンタセーン・ポンマラオはシエンクワーンの領主に対して西山朝への入貢を認めた。 これにより、シエンクワーンはヴィエンチャン王国領でありながら、ベトナム王朝(西山朝、及び阮朝)の勢力下に置かれるという、半独立した非常に不安定な地域となった。その後、ヴィエンチャン王国滅亡によりシエンクワーンはシャム(チャクリー王朝)の領地となったが、1893年にフランスが旧ルアンパバーン王国の宗主権をシャムから獲得すると、1899年にシエンクワーンはトンキンとルアンパバーンに分けられる形でインドシナ連邦に組み込まれた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「シエンクワーン王国」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Muang Phuan 」があります。 スポンサード リンク
|