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シエン・カラス(Cien Caras、本名:Carmelo Reyes González、1949年10月18日 - )は、メキシコの元プロレスラー。ハリスコ州ラゴス・デ・モレノ出身。 弟のマスカラ・アニョ・ドスミル、ウニベルソ・ドスミルもプロレスラー。シエン・カラス・ジュニア、エル・イホ・デル・シエン・カラスとは血縁関係はない。 == 来歴 == ディアブロ・ベラスコ、パンテーラ・ネグラのコーチのもと、1974年にアメリカ合衆国のカリフォルニア州ロサンゼルスにて、サンソン(Sansón)のリングネームでデビュー。その後ミル・マスカラスを模したミル・カラス(Mil Caras)なるマスクマンを経て、「百の顔」を意味するシエン・カラス(Cien Caras)に改名。 1976年10月には新日本プロレスに来日、イワン・コロフ、パット・パターソン、ラリー・ヘニングらと共に『闘魂シリーズ第2弾』に参戦した。アメリカでの活動も続け、1977年1月21日にビクター・リベラとのコンビでロディ・パイパー&ザ・ハングマンを破り、ロサンゼルス地区のNWAアメリカス・タッグ王座を獲得。フリッツ・フォン・エリックの主宰するテキサス州ダラス地区にも遠征し、同年にホセ・ロザリオと組んでレス・ソントン&トニー・チャールズの英国人コンビからNWAテキサス・タッグ王座を奪取している。本国メキシコでもNWA系のEMLLを主戦場に、1980年7月26日にプエブラでトニー・ベネットを下してナショナル・ヘビー級王座を獲得した。 長らくテクニコであったが、1984年よりルードに転向。1987年6月24日、メヒコ州ネツァワルコヨトルでMS1を破りNWA世界ライトヘビー級王座を獲得。1990年9月21日、アレナ・メヒコでのコントラ・マッチでラヨ・デ・ハリスコ・ジュニアに破れ素顔になる。 1990年代に入るとCMLLにてコナン・エル・バルバロと抗争を展開し、1991年8月18日にモンテレイでコナンからCMLL世界ヘビー級王座を奪取。同年8月1日には、弟のマスカラ・アニョ・ドスミル、ウニベルソ・ドスミルと組んでオクタゴン、アトランティス、マスカラ・サグラダ組を破りナショナル・トリオ王座を獲得した。 1992年5月にアントニオ・ペーニャのAAAの旗揚げに参加。ここでもコナン・エル・バルバロと抗争を繰り広げる。1996年3月8日、ネツァワルコヨトルにてヘビー・メタルとラテン・ラバーをパートナーにAAAアメリカス・トリオス王座決定トーナメントに出場、ロス・ビジャノス(ビジャノ3号、ビジャノ4号、ビジャノ5号)と決勝を争うも敗退した。 1997年に再びCMLLに復帰し、マスカラ・アニョ・ドスミル&ウニベルソ・ドスミルとの兄弟トリオ "Los Hermanos Dinamita(The Dynamite Brothers)" で活動。2005年2月、マスカラ・アニョ・ドスミルと組んでペロ・アグアヨ&ペロ・アグアヨ・ジュニアとカベジェラ・コントラ・カベジェラで対戦するも敗退、これが引退試合とされていたものの、その後もCMLLやインディ団体への出場を続けた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「シエン・カラス」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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