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シカゴ双葉会日本語学校(シカゴふたばかいにほんごがっこう、)は、アメリカ合衆国のシカゴ大都市圏 (Chicago metropolitan area)、イリノイ州アーリントンハイツで、全日制の小学校と中学校(全日校)、および、土曜学校(シカゴ補習授業校)を設けている日本人学校。1988年以降、日本の文部省(後の文部科学省)からの支援を受けている。1998年にアーリントンハイツへ移転する以前の双葉会の教育プログラムは、シカゴ、スコーキ (Skokie)、ナイルズ (Niles)とイリノイ州各地で移転を重ねていたが、全日制の課程が始まったのは、スコーキーに所在していた時期のことであった。 == 沿革 == 最初に始まったシカゴ双葉会日本語学校の土曜学校は、1966年5月にシカゴ日本商工会議所が設立したものであった。場所はノース・サイド (North Side) のあるバプテスト教会で、当時は教師3名、生徒50名という規模であった〔 (Archive , Page 2 , Archive of page 2 ).〕 1976年、シカゴ周辺の日本人家庭の親たちは、子どもたちが日本の教育制度に準備が整わないままになることをおそれ、日本政府に全日制の日本人学校を開設するよう要請した。この土曜学校は、1978年5月にイリノイ州スコーキへ移転した。当時、スコーキの全日制学校には、日本政府から派遣された4名の教師がいた〔。全日制学校には、第1学年から第7学年まで100名規模の生徒がいた。1981年、分校として、中学校・高等学校の生徒を対象とした土曜学校が、スコーキのナイルズ・タウンシップ高等学校東校 (Niles Township High School East) の跡に設けられた。1984年8月には、この土曜学校も、全日制学校も、イリノイ州ナイルズ (Niles) へ移転した。1985年4月、ナイルズの学校が手狭になったため、第7学年から第12学年を対象とする土曜学校は、ナイルズのノートルダム高等学校 (Notre Dame High School) の教室を借りて行なわれるようになった〔。1988年の時点で、学校の規模は、日本の文部省が援助していたもうひとつの学校であるニューヨーク日本人学校の半分以下でしかなかった〔。 開校から20年間にわたって、全日制学校はひっとりと運営されていた。それが広く知られるように変ったのは、1998年に新しい場所へ移転してからである〔 (Archive ).〕。アーリントンハイツの現在のキャンパスは、1998年4月6日月曜日に開設され、ここでの授業は1988年4月6日に始まった。初年度には230名の生徒がおり、土曜日の日本語学校には720人の生徒がいた 1998年5月18日、学校のパンフレット用に航空写真を撮影するため学校の役員2人が搭乗していたヘリコプターが、アーリントンハイツの住宅に墜落した。搭乗していたのは、当時49歳だった教頭・定忍と38歳だった美術教師・山口一哉、62歳の写真家でイリノイ州ウィルメット (Wilmette) 在住だった佐藤恭央、ヘリコプターを操縦していた40歳のパイロットでウィスコンシン州レイク・ジェニバ (Lake Geneva) 在住だったスコット・マラス (Scott Maras) で、全員が死亡した〔〔 - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「シカゴ双葉会日本語学校」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Chicago Futabakai Japanese School 」があります。 スポンサード リンク
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