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シカンダル・シャー(Sikandar Shah, 生年不詳 - 1389年)は、東インドのベンガル・スルターン朝、イリヤース・シャーヒー朝の君主(在位:1357年 - 1389年)。 ==生涯== 1357年、シカンダル・シャーは父シャムスッディーン・イリヤース・シャーが死亡したことにより、王位を継承した〔チャンドラ『中世インドの歴史』、p.166〕。 1358年、トゥグルク朝の君主フィールーズ・シャー・トゥグルクが和平に反し、再びベンガル地方に遠征を開始した〔小谷『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』年表、p.29〕。シカンダル・シャーはかつて父がとった戦術に倣い、ガンジス川とその支流に囲まれたエクダーラーの城塞へと逃げた〔チャンドラ『中世インドの歴史』、p.166〕〔堀口『世界歴史叢書 バングラデシュの歴史』、pp.57-58〕。 フィールーズ・シャーはモンスーンの大雨、それに伴う洪水に悩まされ、エクダーラーを落とすことはできなかった。そして、1359年にフィールーズ・シャーはシカンダル・シャーと和平を締結し、彼を独立の支配者として認め、ベンガルから退却した〔堀口『世界歴史叢書 バングラデシュの歴史』、p.58〕〔チャンドラ『中世インドの歴史』、p.166〕〔小谷『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』年表、p.29〕。 シカンダル・シャーの治世は平和と繁栄が続いた〔堀口『世界歴史叢書 バングラデシュの歴史』、p.58〕。トゥグルク朝の侵攻ののち、ベンガルは以後200年間独立を保ち、それは1538年まで続いた〔チャンドラ『中世インドの歴史』、p.166〕。 1389年、シカンダル・シャーは宮廷内の内紛により、息子ギヤースッディーン・アーザム・シャーに暗殺された〔堀口『世界歴史叢書 バングラデシュの歴史』、p.58〕〔ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p.158〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「シカンダル・シャー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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