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シクレノンシェリフは日本の元競走馬で、現在は乗用馬。 2歳年上の全兄にムッシュシェクルがいる。馬名の由来は冠号「シクレノン〔布施明の楽曲「シクラメンのかほり」とミュージシャンのジョン・レノンを組み合わせた造語〕」に、保安官を意味するシェリフ (Sheriff) 。 ※戦績の馬齢は旧表記(数え年)とする。 == 戦績 == 4歳となった1993年2月28日に阪神競馬場で遅めのデビュー。 芝2000mの新馬戦で、一番人気はメジロランブール〔メジロマックイーンの半弟(父ジャッジアンジェルーチ)。〕に譲ったが、レースでは2着のメジロランブールに3馬身半差をつける完勝。 勝ちっぷりからクラシック戦線で「関西の秘密兵器」と評判を取り、一勝馬の身で「東上最終便」毎日杯〔皐月賞前に関西で行われる最後の重賞競走のためこの名称がつく。なお、同日の白鷺特別(900万下)では兄ムッシュシェクルが勝利をおさめた。〕に出走し、一番人気に支持されると、エアマジックをアタマ差抑えて重賞初制覇。 皐月賞ではウイニングチケット、ビワハヤヒデ、ナリタタイシンの「3強」に次ぐ4番人気に支持され、勝ったナリタタイシンから0秒3差の3着〔4位入線だが、3位入線のガレオンが降着のため繰り上がり。〕に入線し、ウイニングチケットには先着を果たした。 距離が延びる日本ダービーでも期待され、3強とNHK杯勝ちのマイシンザンに次ぐ5番人気に支持されたが、すでに調子を落としていたこともあり勝ったウイニングチケットから3秒1差の14着に惨敗。 屈腱炎を発症し、4歳秋は全休し、10ヶ月半の休養を経て5歳となった1994年4月にオープン特別の陽春ステークス(芝1600m)〔第54回皐月賞当日の阪神競馬場のメインレース。オープン特別といってもインターマイウェイ、フジワンマンクロス、アラシ、トーワダーリン等重賞勝ち馬やGIでの活躍馬が出走し、なかなかの好メンバーが揃った。〕に出走。 一番人気に支持されるが、8着に敗れると再び屈腱炎を発症し、今度は1年10ヶ月の休養を余儀なくされた。 この間、5歳夏には準オープン(1500万下)に降格。 7歳となった1995年2月にようやく復帰が叶い、松籟ステークス(京都競馬場芝2400m)〔参考までに、その日のメインレースはきさらぎ賞で、勝ち馬はロイヤルタッチ。2着がダンスインザダークであった。〕に出走。 しかし、4コーナー手前で故障を発症して競走中止。 屈腱断裂の重傷で、競走能力を喪失し、そのまま現役引退となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「シクレノンシェリフ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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