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シシンガマンガラジャ12世(インドネシア語:Sisingamangaraja XII)あるいはパトゥアン・バサル・オンプ・プロ・バトゥ(Patuan Besar Ompu Pulo Batu)は、インドネシア北スマトラのバタック人最後の王。オランダによるスマトラ島の植民地化に1878年からオランダ軍との戦闘で戦死する1907年まで抵抗、1961年にはその抵抗を称えてインドネシア国民英雄に認定された。 ==歴史== シシンガマンガラジャ12世は1849年にスマトラ島北部のテパヌリ(Tepanuli)で誕生した。父親であるシシンガマンガラジャ11世が1867年に亡くなるとその後継としてバタックの王となり、これはバタックにおける最後の王となった。また、シシンガマンガラジャ12世は悪霊を追い払う力や雨を呼び起こして稲を育てる力があると信じられていた。1850年代になって入植とキリスト教の宣教が進むとシシンガマンガラジャ11世と12世はバタック人の抵抗勢力を植民地の体制へ引き込むための重要な人物として焦点が当てられ、またシシンガマンガラジャ個人としてもキリスト教の宣教には反対ではなかったため、1873年のアチェ戦争にてスルタン国であるアチェ王国からの圧力に苛まれることになった。その後、シシンガマンガラジャは1878年にバタックの宗教会合でオランダ植民地支配に対するレジスタンスを結成した。この動きにオランダは1904年にトバ湖(Toba)周辺のタナ・ガヨ(Tanah Gayo)などの地域を襲撃し、シシンガマンガラジャのゲリラ抵抗によって完全なレジスタンスの崩壊には至らなかったが、人員と武器を増強したオランダ軍は1907年にバタック人レジスタンスの残党を殲滅し、この戦闘によって同年6月17日にシシンガマンガラジャ12世は殺害された。遺体はサモシール島に埋葬されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「シシンガマンガラジャ12世」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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