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シジクレイ ( リダイレクト:シジクレイ・デ・ソウザ ) : ウィキペディア日本語版
シジクレイ・デ・ソウザ

シジクレイ・デ・ソウザ(Sidiclei de Souza, 1972年5月13日-)は、ブラジル出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションディフェンダーミッドフィールダー
== 経歴 ==
父のシジネイ、兄のジャンカル、さらに3人の親戚もブラジルでプロサッカー選手になったサッカー一家で生まれ育つ〔「ウイークリー・インタビュー VOICE!」『週刊サッカーマガジン』ベースボールマガジン社、1999年9月22日号 No.729、61-63ページ。〕。ボランチだった父の影響で、自らも少年時代からボランチとしてプレーしていた〔。地元のカスカヴェルECのジュニオールでプレーした後、1990年にパラナ州内にある日系クラブのSEマツバラに移り、1993年、20歳の頃にプロ契約を結ぶ〔。
1997年にマツバラからジャパンフットボールリーグモンテディオ山形に加入して、初来日を果たす。1998年にはクラブのJFL3位という好成績に大きく貢献した〔。
1999年J1京都パープルサンガに完全移籍。初のJリーグでも1年を通して活躍し、出場停止1試合を除く29試合にフル出場した〔。自身は翌2000年も京都でのプレーを考えていたが、「このチームで続けられる、と思っていたらできなかった。いまでもその理由が分からない」と述懐する〔「蹴球波乱万丈」『週刊サッカーマガジン』ベースボールマガジン社、2001年3月21日号 No.805、36-37ページ。〕 何らかの理由により実現せず、この年は大分トリニータ期限付き移籍される事になった。大分は最終節までJ1昇格争いに絡み、2位と勝ち点1差の3位でシーズンを終えた。
2001年、今度はヴィッセル神戸に期限付き移籍で加入し、2002年からは完全移籍となった。
2004年、神戸からガンバ大阪に完全移籍。2005年はクラブ史上初となる外国人キャプテンに任命され、G大阪はこの年にナビスコカップ準優勝、J1リーグ初優勝を果たした。
2008年、9年ぶりに京都サンガF.C.に復帰。2009年12月1日、京都は契約満了に伴いシジクレイと来シーズンの契約を結ばないことを発表した〔契約満了選手のお知らせ|京都サンガF.C.オフィシャルサイト 〕。
2010年、古巣のカスカヴェルCR(旧・カスカヴェルEC)と契約したが7月にCNマルシリオ・ジアスへ期限付き移籍。
2011年、2月にECアギア・ネグラに移籍し、5月に現役を引退した。引退後、ECアギア・ネグラのコーチに就任。
2013年、ガンバ大阪のコーチに就任〔2013シーズン ガンバ大阪 新加入コーチングスタッフのお知らせ ガンバ大阪オフィシャルサイト、2013年1月11日〕。2015年シーズン終了後、契約満了により退団。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「シジクレイ・デ・ソウザ」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Sidiclei de Souza 」があります。




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