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システィーナ礼拝堂壁画修復 : ミニ英和和英辞書
システィーナ礼拝堂壁画修復[しすてぃーなれいはいどうへきがしゅうふく]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [れい]
 【名詞】 1. expression of gratitude 
礼拝 : [れいはい]
  1. (n,vs) (1) worship (esp. Christian) 2. adoration 3. divine service 
礼拝堂 : [れいはいどう]
 (n) (1) place of worship (esp. Christian)
: [はい]
 (n) worship
: [どう]
  1. (n,n-suf,n-pref) (1) temple 2. shrine 3. hall 4. (2) prefix to building meaning "magnificent" 
: [かべ]
 【名詞】 1. wall 
壁画 : [へきが]
 【名詞】 1. fresco 2. mural 3. wall painting 
: [かく, が]
 【名詞】 1. stroke 
修復 : [しゅうふく]
  1. (n,vs) repair 2. mending 

システィーナ礼拝堂壁画修復 : ウィキペディア日本語版
システィーナ礼拝堂壁画修復[しすてぃーなれいはいどうへきがしゅうふく]

システィーナ礼拝堂壁画修復(システィーナれいはいどうへきがしゅうふく)では、ヴァチカン宮殿システィーナ礼拝堂の天井および壁面に描かれたフレスコ画の修復作業を概説する。これまで実施された礼拝堂の修復作業の中でも、とくに1980年に開始された屋内フレスコ画全体の修復作業は、20世紀における最大かつ最重要な美術品修復だとみなされている。
世界遺産にも指定されているヴァチカンのシスティーナ礼拝堂は、ローマ教皇シクストゥス4世サン・ピエトロ大聖堂の北隣にヴァチカン宮殿付属の礼拝堂として建築させ、1481年に落成した建物である。内装の壁面は、ギルランダイオペルジーノボッティチェッリら、15世紀後半のルネサンス期のイタリアを代表する画家たちによるフレスコ壁画で埋め尽くされている〔。その後、ローマ教皇ユリウス2世の時代には、ミケランジェロが1508年から1512年にかけて、システィーナ礼拝堂の天井に壮大なフレスコ天井画を描いた。さらにミケランジェロはローマ教皇クレメンス7世と後継のローマ教皇パウルス3世の命で、1533年から1541年にかけて主祭壇背後の壁に『最後の審判』も描いている〔Massimo Giacometti, editor,''The Sistine Chapel'', (1986) Harmony Books, ISBN 0-517-56274-X〕。また、システィーナ礼拝堂で挙行される特別な式典のときのみ、ラファエロ下絵デザインによるタペストリーも礼拝堂壁面の最下段に飾られる。システィーナ礼拝堂はルネサンス盛期の最高傑作絵画作品の一大宝物庫となっており、とくにミケランジェロが天井に描いた『アダムの創造』や『原罪と楽園追放』などは、ルネサンス期のみならず全西洋美術史における最高傑作のひとつだといわれている。
システィーナ礼拝堂のフレスコ画、とくにミケランジェロによる天井画部分とルネット部分はこれまでに何度も修復を受けてきた。なかでも2013年現在時点で、もっとも近年に実施されたのが1980年から1994年にかけての大修復作業である。数百年にわたって見えなくなっていた鮮やかな色彩や詳細表現がこの修復で復活し、「ミケランジェロについて記された書物は全て書き換えられるべきだ」といわれるほどに美術愛好家や研究者たちに大きな衝撃を与えた〔University of Victoria art scholar, in the ''Queen's Quarterly'', as quoted in: 〕。一方で、コロンビア大学の美術史教授ジェームズ・ベック (en:James Beck) のように、修復チームが画家たちの真の意図を理解しないままに作業を行ったとして、この修復作業を激しく非難する専門家もおり、修復結果の賛否は今でも大きな議論となっている。
== 1980年以前の修復作業 ==

1547年ごろにイタリア人歴史学者パオロ・ジョヴィオが、硝酸カリウムとひび割れによって天井画が損傷しつつあるという記録を残している。建物上層からの水漏れに起因する硝酸カリウムは、顔料を白化させてしまうことがある。ローマ教皇庁の美術品修復部門の責任者で、1980年からの大修復の指揮を執ったジャンルイージ・コラルッチは、自身のエッセイ「ミケランジェロの色彩再発見」のなかで、過去に修復を手がけた人々が作品の透明感を保つために亜麻仁油ないしクルミ油を修復に用いたと記している〔。
1625年に「見習い金箔師」シモーネ・ラギが天井画の修復作業を行った。天井画の表面を麻布で拭き清めてパンで汚れをこそぎ落とし、しつこい汚れを落とすときには湿らせたパンを使うこともあった。ラギの報告書にはフレスコ画が「何の損傷もなく元通りの美しさを取り戻した」と記されている〔Vatican Library, Vat. Capponiano 231, f 238 and Chigiano G. III 66. f 108. as cited by Colalucci〕。コラルッチはラギが適切に画肌表面のワニス層を洗浄して、もとの色彩をよみがえらせたことは「まず間違いない」と評価しているが、ラギの報告書には「修復技法の肝心な点については何も書かれていない」としている〔。
1710年から1713年にかけて、イタリア人画家アニバーレ・マッツォーリ (:en:Annibale Mazzuoli) とその息子が修復を手がけている。洗浄作業にはギリシア産のワインを浸み込ませた海綿を使用した。コラルッチはマッツォーリの修復作業について、汚れを落とすためには止むを得なかっただろうとしながらも、煤煙や汚れを以前の修復作業時に使用された油層に塗りこめてしまう結果となったと指摘している。またコラルッチのエッセイによれば、マッツォーリは明暗を際立たせる目的で天井画に多くの細かい加筆を行ない、硝酸カリウムの作用によって色彩が失われていた箇所にも、新たに顔料を塗りなおした。さらにコラルッチはマッツォーリが画肌表面に大量のワニスを塗布したと主張している。マッツォーリの修復作業は天井部分に集中しており、ルネット部分はほとんど放置されていた〔。
1935年から1938年にかけて、ヴァチカン美術館の修復研究部局による修復作業が行われた。このときの修復の主たる目的は、礼拝堂東端に描かれているフレスコ画の描画層 (:en:intonaco) の強化と煤などの汚れの除去だった〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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