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シソワット・コサマック・ニヤリリヤット : ミニ英和和英辞書
シソワット・コサマック・ニヤリリヤット
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


シソワット・コサマック・ニヤリリヤット : ウィキペディア日本語版
シソワット・コサマック・ニヤリリヤット


シソワット・コサマック・ニヤリリヤット(クメール語: ស៊ីសុវត្ថិមុនីវង្ស កុសុមៈនារីរ័ត្នសេរីវឌ្ឍនា / Preah Mahaksatriyani Sisowath Monivong Kossamak Nearirath Serey Vathana, 1904年4月9日 - 1975年4月27日)はカンボジア王妃(在位:1955年3月3日 - 1960年4月3日)、皇太后(在位:1960年4月3日 - 1975年4月27日)。夫の死後、王位は空位となったが、。
== 生涯 ==
シソワット・モニヴォン王の娘としてプノンペンで生まれた。1920年、いとこのノロドム・スラマリットと結婚し、2人の長男がノロドム・シハヌークである。1941年、父王の死後、息子のシハヌークが国王に即位し、彼のもとで1953年にカンボジアはフランスから完全独立した。1955年にシハヌークは政治に専念するため、スラマリットに王位を譲ったことにより、王妃となった。
スラマリット国王は在位5年目の1960年に死去したが、この後、カンボジア国王は空位となり、シハヌークが新設の「国家元首」に就任、、公式の場では2人の肖像画が掲げられた。シハヌークの中立政策により、カンボジアは平和な時代が続いたが、彼の反米・親ベトナム的な政治姿勢に批判的であったシリク・マタク副首相は、ロン・ノル首相兼国防相と結託し、アメリカの後押しを受けて1970年にクーデターを決行した。外遊中だったシハヌークは国会の決議により国家元首を解任され、王制廃止のうえ、国名は「クメール共和国」と変更された。この間も、コサマックはプノンペンの王宮に留まっていた。クメール共和国は支配基盤がぜい弱であり、亡命先の北京で「カンボジア王国民族連合政府」を結成したシハヌーク派や、国内で地下活動を行っていた共産主義勢力クメール・ルージュなどからの攻勢を受け、たちまち不利な状況に陥った。
1973年、クメール共和国のハン・トゥン・ハク首相は、シハヌークと和平交渉を行おうとし、シハヌークが滞在している北京へ赴く際、コサマックを伴った。しかし、シハヌークは交渉を拒否し、ハン・トゥン・ハクは交渉失敗の責任を取って首相辞任を余儀なくされた。1975年、クメール・ルージュによるプノンペン陥落の直後、コサマックは滞在先の北京で病死した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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