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シッキム国民会議派 : ミニ英和和英辞書
シッキム国民会議派[しっきむ こくみんかいぎは]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [くに]
 【名詞】 1. country 
国民 : [こくみん]
 【名詞】 1. national 2. people 3. citizen 
: [たみ]
 【名詞】 1. nation 2. people 
: [かい]
  1. (n,n-suf,vs) meeting 2. assembly 3. party 4. association 5. club 
会議 : [かいぎ]
  1. (n,vs) meeting 2. conference 3. session 4. assembly 5. council 6. convention 7. congress 
: [は]
  1. (n,n-suf) clique 2. faction 3. school 

シッキム国民会議派 : ウィキペディア日本語版
シッキム国民会議派[しっきむ こくみんかいぎは]
シッキム国民会議派(しっきむ こくみんかいぎは、Sikkim National Congress)は、シッキム王国政党1960年5月28日 - 1973年5月)。シッキムでは移民ながら多数派のネパール系住民を主力とする政党で、シッキム王室(ナムゲル家)に反対し、民主主義制度の導入などを主張した。以下、本記事では略称の「SNC」をもって同党を記述する。
== 事績 ==

=== 創設 ===
第2次大戦後のシッキム王国では、ネパール系住民を主力とし、民主主義制度導入やシッキムのインドへの編入を主張したシッキム国家会議派(SSC)と、原住民・支配階層ながら少数派のブティア・レプチャ系を主力とし、王制擁護やシッキム独立を主張したシッキム国民党(SNP)との政党対立の構図が成立していた。しかし、当時の国王タシ・ナムゲルは国内秩序安定のために親インド路線をとり、インドもSSCよりは国王やSNPをむしろ支持する立場をとることになる。このような状況のためにSSC内部でも国王(ひいてはインド)への態度をめぐって内部対立が起き、ついに1958年には当時の総裁で反王室派のカジ・レンドゥプ・ドルジが離党、新党スワタントラ・ダルを結成してしまう。以後、SSCは親国王派政党へと変質していくことになった。
こうして1960年5月28日、王室やインドの統治、SSCの変節ぶりに不満を抱いた政治家たちが結集して、新たにSNCを創設したのである。SSC同様にネパール系主体の政党だが、これにはスワタントラ・ダルからカジ・レンドゥプ・ドルジ、やはりSSCに失望して同党を離党したチャンドラ・ダス・ライ(Chandra Das Rai)、さらにSNPからも元総裁のソナム・ツェリン(Sonam Tshering)が参加し、ドルジがSNC総裁に就任した。SNCは元来SSCが主張していた民主責任政府の樹立や成文憲法の制定、コミュナル選挙制度〔シッキム立法府たる参事院の選挙議席につき、「ブティア・レプチャ系」と「ネパール系」の2つのコミュニティにそれぞれ平等の数の議席を割り当てる制度である。これは少数派のブティア・レプチャ系を有利にするものであった。1953年の参事院創設から制度は何回か改正されたが、この原則自体に変動は無かった。〕の廃止と普通選挙の実施、司法の独立を主張した。またインドに対しても批判的であり、シッキムの自治とインド人ディーワン(駐在行政官)の廃止を要求するなどしていた。
SNC創設にはシッキム王国参事院(State Council、立法府に相当)議員も参加したため、参事院においてSNCは4議席を取得し、SNP(6議席)に次ぐ第2党となった。一方、親王室に転じていたSSCは存在感を急激に失い、第3党(3議席)に転落した。1961年7月、シッキム政府が「臣民規則」(Subject Regulations)を公示し、この中では市民権取得に関してネパール系がブティア・レプチャ系に比べて差別されていたが、SNCが主導しSSCと連携する形でこの差別条項を翌年には削除させた。〔落合(1986)、228頁。〕

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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