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シップレイ・ベイ(USS Shipley Bay, CVE-85)は、アメリカ海軍の護衛空母。カサブランカ級航空母艦の31番艦。 ==艦歴== シップレイ・ベイは1943年11月22日に海事委任契約の下ワシントン州バンクーバーのカイザー造船所で起工する。1944年2月12日にL・B・リチャードソン夫人によって進水し、1944年3月21日にエドガー・T・ニール艦長の指揮下就役する。 シップレイ・ベイはサンディエゴとサンペドロ湾の中間海域で5月3日まで処女航海を行った後、南太平洋方面へ航空機とパイロットを輸送する任務に就き、10月まで西海岸と真珠湾、マジュロ、ガダルカナル島およびツラギ島との間を往復し、合計496機の航空機を輸送した。 輸送任務を終えたシップレイ・ベイは、次に第38任務部隊(マーク・ミッチャー中将)に合流し、三度の任務で中核の空母にパイロット、航空機およそ100機、および弾薬を補給する任務に就いた。10月17日から29日にかけてはサマール島東方150マイルの洋上で補給を行い、12月10日から24日にかけてはルソン島東方450マイル洋上にて会合。12月26日から1945年1月12日までの三度目の任務では、ルソン島の北東350マイルの洋上で会合した。補給任務を終えたシップレイ・ベイは真珠湾に戻り、訓練用空母として3ヵ月間活動した。 4月22日、シップレイ・ベイは沖縄戦の戦場に向かうため真珠湾を出撃した。グアムを経由して沖縄島近海に到着したシップレイ・ベイは5月7日から16日までの間、航空機を352回出撃させて日本軍の砲台、レーダー施設、洞窟などを攻撃していった。しかし、5月16日に給油艦キャッシュ (''USS Cache, AO-67'') から航空ガソリンを補給中、航空ガソリン用のタンクが破損。シップレイ・ベイは修理のためグアムアプラ港に下がった。 修理を終えたシップレイ・ベイは、6月9日に沖縄沖で他の護衛空母5隻と合同。6月14日から16日まで石垣島と宮古島の航空基地に対する攻撃を行った。シップレイ・ベイの航空機は6月18日から22日にかけても再度の攻撃を行い、沖縄沖を去っていった。シップレイ・ベイはアメリカ本国に回航され、終戦のときはサンディエゴにてオーバーホール中であった。 9月26日、シップレイ・ベイはマジック・カーペット作戦に参加してサンディエゴを出港。真珠湾、沖縄およびクェゼリン環礁からの約1,000名の復員兵をサンフランシスコまで輸送した。任務終了後の1946年2月、シップレイ・ベイは東海岸に向かった。3月9日にボストンに到着し、不活性化工事を施行後6月28日に退役して大西洋予備役艦隊に配属された。その後、1959年3月1日に除籍され、10月2日にスクラップとして売却された。 シップレイ・ベイは第二次世界大戦の戦功で2つの従軍星章を受章した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「シップレイ・ベイ (護衛空母)」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 USS Shipley Bay (CVE-85) 」があります。 スポンサード リンク
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