翻訳と辞書
Words near each other
・ シティ・オブ・ブリストル
・ シティ・オブ・ブリュッセル (客船)
・ シティ・オブ・ブルー・マウンテンズ
・ シティ・オブ・プリマス
・ シティ・オブ・プレストン
・ シティ・オブ・ヘレフォード
・ シティ・オブ・ベルリン (客船)
・ シティ・オブ・ペンリス
・ シティ・オブ・ホルロイド
・ シティ・オブ・ボタニー・ベイ
シティ・オブ・ポーツマス
・ シティ・オブ・ポートランド
・ シティ・オブ・マッド
・ シティ・オブ・マンチェスター
・ シティ・オブ・マンチェスター・スタジアム
・ シティ・オブ・メン
・ シティ・オブ・ヨーク
・ シティ・オブ・ライド
・ シティ・オブ・ランカスター
・ シティ・オブ・ランドウィック


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

シティ・オブ・ポーツマス : ミニ英和和英辞書
シティ・オブ・ポーツマス[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

シティ・オブ・ポーツマス ( リダイレクト:ポーツマス (イングランド) ) : ウィキペディア日本語版
ポーツマス (イングランド)[ちょうおん]

ポーツマス(Portsmouth, )は、典礼カウンティハンプシャーに属すイングランドの南岸に位置するシティイギリスで唯一のアイランド・シティであり、ポートシー島に都心がある。行政は単一自治体 (Unitary Authority) である。イギリス海峡に面している。
シティ・オブ・ポーツマスとポーツマス・フットボール・クラブの両方が、ポンペイの愛称で呼ばれる。都市自体の人口は197,700人であるが、それは、約442,252人の居住者がいるアーバン・エリアによって、ポーツマス・アーバン・エリアはイングランドにおける11位の面積を持つ都市圏を形成している。2001年国勢調査では、ロンドン自体の人口密度より高い4,562km²であった。
1世紀に渡ってポーツマスは歴史的な軍港であり、世界で最も古い乾ドックが現役で使用される。ネルソン提督の旗艦HMS ヴィクトリーを含み、多くの有名な軍艦の母港となっている。近年、ポーツマス海軍基地は軍事拠点として減退したものの、イギリス海軍イギリス海兵隊基地造船所は維持されており、依然として司令部が置かれている。ヨーロッパ大陸に向かう貨物輸送や旅客輸送向けの商業港も栄えており、フランス北部とスペインへのフェリーが定期的に発着している。
現在は、沿岸の再開発が進み、スピンネーカー・タワーが都市の景観へ加わった。再開発された地域は、ガンワーフ・キーズとして知られている。ポーツマス・アーバン・エリアは、ポーツマス自体と比べて二倍以上の人口に達し、これには、フェアハムポーチェスターゴスポートハヴァント(郊外のリー・パークを含む)、リー・オン・ザ・ソレントスタヴィトンウォータールーヴィルが含まれる。近年のアーバン・エリアは、サウサンプトン寄りのハヴァントを通過するM27/A27ロードと北のクランフィールドを通過するA3ロードへわたって形成されている。
== 歴史 ==
ローマの支配を受ける以前からポーツマスの地域には村落があった。ポートチェスターには、ローマの駐屯地が設けられた。ポーツマスの古い時期の記録の大部分は、ノルマン・コンクエスト後にノルマンディー人によって焼き捨てられたと考えられている。ポーツマスに言及してる13世紀前半の年代記が最も古い。しかし、アングロサクソン年代記では、サクソン人によって設立されたと語られている。これには、ポータス・ハーバーの口 (Portesmuða) として9世紀後半から言及しているが、歴史家からその起源を受け入れられていない。
ドゥームズデイ・ブックには、ポーツマスについて触れられていない。しかし、村落は後にポーツマスの一部として追加された。この時、ポーツマスの地域に200から300人の住民が定住していたと見積もられた。ポートシーには1166年よりも前から小さな教会があったのに対し、ポーツマスに建設されたのは1181年である。聖アウグスティノ修道会のサウスウィック修道分院は、ヘンリー8世の宗教改革まで存在した。イギリス国教会の現代的なポーツマス大聖堂は、この修道会があった位置に建設された。
1194年獅子心王リチャード第3回十字軍へ参加するため、かつてジャン・ド・ジゾールがそうやったように艦隊と兵士をポーツマスへ召集した。同年5月2日、リチャードは経費を削減するため、ポーツマスに王室特許状を与えた。裁判所の建設ともに定期的に市場の開放が行われ、税金の免除がなされた。
新たに王座に就いたジョン王は、1203年フィリップ2世との戦争のため、イギリス海峡に面する海軍基地の強化に乗り出し、イングランドの各造船所から1隻以上の軍艦を徴集した。ポーツマスには、最初のドックと聖ニコラウス病院が建設された。13世紀にもポーツマスはフランス攻撃の拠点として、ヘンリー3世エドワード1世らが常用した。
14世紀頃には、商業の大きな発展があった。港での最大の取引はバイヨンヌボルドーからのワインであり、他にもウール穀物小麦ウォードなどを輸入した。
百年戦争の勃発によって、フランス艦隊は1338年にポーツマスを急襲した。この攻撃で教会と病院は残存したが、町の大部分は破壊された。エドワード3世は、これを再建するため、免税の措置をとった。さらに急襲から10年後には、初めて黒死病の流行による人的被害を受けた。ポーツマスの再生を脅威として、フランスは1369年、1377年、1380年と度々攻撃を繰り返したため、1418年ヘンリー5世はポーツマスへ要塞の建設を命じた。木製のラウンド・タワーが港の入り口に建設され、1426年に完成した。ヘンリー8世は石材で要塞を再構築し、正方形の城塞にした。また、ロバート・ブリガンダインとレジナルド・ブレイ卿を援助し、世界初の乾ドックが建設された。ヘンリー8世は1527年にカトリック修道院からの没収した資金の一部で、サウスシー・キャッスルを建設した。ポーツマスで建造されたメアリー・ローズは、ヘンリー8世による命名であった。
1628年バッキンガム公ジョージ・ヴィリアーズがポーツマスのパブで暗殺された。現在このパブは個人が所有し、バッキンガムハウスと呼ばれ、追悼の飾り額を掲げられている。
イングランド内戦の間、ポーツマスの要塞に置かれた兵器は、国王派と駐屯軍の安全を保障する代わりとして引き渡された。この戦争では、議会派海軍の主要基地となった。英蘭戦争英西戦争では、イギリス海軍の父ロバート・ブレイク提督がポーツマスを母港に利用した。
アーサー・フィリップ率いる11隻の船団は、1787年5月13日にポーツマスから出航した。この船団は、ボタニー湾を経てポート・ジャクソン湾へたどり着き、オーストラリアへの初入植を果たした。
産業革命により、ロジスティックにイギリス海軍を支援する役割を担ってきたポーツマスにも重大な産業の変革が訪れた。1802年にマーク・イザムバード・ブルネルは、軍艦の装具で使用する滑車を世界で初めて量産に成功し、ポーツマス・ブロック・ミルで大量生産ラインを確立した。その先端さにおいて、世界最大の造船業拠点となった。
1805年にフランス・スペイン艦隊の侵攻を阻止するため、ホレーショ・ネルソンはポーツマスを去り、トラファルガーの海戦が最後の指揮となった。ポーツマスを囲んでいる要塞網により、ヨーロッパで最も守備を固められているとしてイギリス海軍の信頼につながった。奴隷売買の根絶を任ぜられた西アフリカ戦隊は、1808年にポーツマスから出航した。1872年12月21日には、主だった自然科学の探検隊(チャレンジャー号探検航海)もポーツマスから出航した。
第一次世界大戦中の1916年に飛行船ツェッペリンの爆撃を受けた。
1926年に王国最初の軍港であったことを理由に申請したシティ・ステータスがポーツマスへ与えられ、バラ・カウンシルによる組織的自治が始まった。その2年後、ロード・メイヤーの職を受けた。
第二次世界大戦でポーツマスの広範囲に渡ってドイツ空軍による爆撃に晒され、多くの民家と市民センターが破壊された。サウス・シー海岸とポーツマス港は、1944年6月6日に始まったノルマンディー上陸作戦に出撃する軍の乗船場であった。ポーツマスの北側にあるサウスウィックハウスは、上陸作戦の間、連合国軍最高司令官であるアメリカのドワイト・D・アイゼンハワー将軍の本部に選ばれた。
戦後、ポーツマスの多くの建材が損害を受け、住宅の修復や品質改善に消費された。この影響を受けた住民は、ポールズグローブやリー・パークなど都心から離れた郊外へ移り住んだ。戦後の国内における再開発は、実用主義とブルータリスト建築様式を特徴とし、ポーツマスではトライコーン・センターがその好例だった。近年は、新たな再開発の波を受け、トライコーンの解体、放棄された産業拠点の再生、そして、スピンネーカー・タワーの建設があった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ポーツマス (イングランド)」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Portsmouth 」があります。




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.