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シテ島(シテとう、仏 : Île de la Cité)は、サン=ルイ島と並ぶ、パリの中心部を流れるセーヌ川の中州である。パリ市内で最も古い歴史をもつパリ1区及び4区に属し、“パリ発祥の地”とも称される。ユリウス・カエサルの『ガリア戦記』では、すでに紀元前1世紀にパリシイ族 (Parisii) が住んでいたことが述べられている。 シテ島にはノートルダム大聖堂とその向かいにパリ警視庁があり、その脇にオテル・デュー・ド・パリがある。文字通り訳せば、「パリの神の館」になるが、パリ市民病院のこと。旅の病人を宿泊させ、病になれば看病した教会、巡礼教会からの発展の名残である。近代外科医学の開拓者で、床屋医者の出身でもある外科医アンブロワーズ・パレが勤務していた病院としてもその名が知られている。 また、この島はとても狭いので、ここの住民たちは夜も一定の時間を過ぎるとトイレの水は流さない等、互いに気配りしつつ一緒に住んでいくことの不便さを味わってきた。ここから「シテ島に住む者」を表す古仏語 citeain (現代仏語シトワイヤン citoyen 、現代英語シティズン citizen)の意味が転じ、市民という言葉が成立したという(仏語 cité は英語の city に相当する)。 == 歴史 == ファイル:Paris in 9 century.jpg|9世紀のシテ島の地図 ファイル:Les Très Riches Heures du duc de Berry juin.jpg|14世紀のシテ宮(現在のパレ・ド・ジュスティス (パリ)) Image:Plan de Bâle 1552 - Extrait île de la Cité.jpg|1550年のシテ島 File:P1140245 Carnavalet abbaye Saint-Victor rwk.JPG|1590年または1593年のシテ島(右側)。この頃には既に相当都市化が進んでいた。この絵画はカルナヴァレ美術館に収蔵されている。 Image:Plan de Turgot - 1739 - Extrait Île de la Cité.jpg|1739年頃のシテ島 Image:Plan et description du quartier de la Cité, avec ses rues et ses limites, par Jean-Baptiste Scotin (1678-?).jpeg|18世紀のシテ島 ファイル:Paris - Île de la Cité 2011.svg|現在のシテ島 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「シテ島」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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