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シトカ市郡()は、アメリカ合衆国アラスカ州のアレキサンダー諸島バラノフ島西岸に位置する市郡(市であり郡である自治体)。2005年の推定人口は8986人で、アラスカで4番目の人口とアメリカで最大の行政面積を持っている。 シトカという地名は、先住民族のトリンギット族の言葉で「海のほとりの人々」という意味の「Shee At'iká」から来ている。また、シトカは時々シトカ・バイ・ザ・シー(Sitka-by-the-Sea)とも呼ばれる。 == 歴史 == もともとこの地域には、先住民族のトリンギット族が定住していた。1799年に、ロシア領アメリカ総督アレクサンドル・バラノフが露米会社の支援を受けここに到着し、町を組織した。露米会社は当時のツァーリ・パーヴェル1世の認可を受け設立され、ロシア植民地での統治や交易を行っていた。 しかし、1802年にトリンギット族の一派が交易拠点のセント・ミカエル砦(現オールド・シトカ)を襲撃し、多数のロシア人を虐殺した。バラノフは生き残った移民を帰国させるため、近くに停泊していたイギリス船に1万ロシア・ルーブルを支払った。 その後、バラノフらはロシアに戻ったが、1804年にロシア戦艦「ネバ」率いる艦隊に多くのロシア人とアレウト族を乗せシトカに来航した。艦隊はトリンギット族を砲撃し、周囲の森に立ち退くよう強制した(シトカの戦い)。戦いに勝ったロシア人は、常設の要塞を築いて定住するようになった。彼らはその要塞をノボ・アルハンゲリスク(ニュー・アークエンジェルとも。バラノフが生まれたアルハンゲリスク州の州都・アルハンゲリスクに因む)と名づけた。さらに1808年、バラノフ知事によりシトカはロシア領アメリカの首都となった。 1860年代から徐々にラッコの毛皮貿易がすたれ、1867年にアラスカ購入が成立すると、シトカではロシア国旗を降ろしアメリカ国旗を揚げる式典が行われた。(式典は毎年10月18日のアラスカの日に再演される)それからクロンダイク・ゴールドラッシュまでの間、シトカに駐在するアメリカ政府職員は1人の税関監査官のみだった。しかしその後も、1906年にジュノーへ政府が移転するまで、シトカはアラスカ準州の首都であり続け、準州初の新聞・シトカタイムズは、1868年9月19日にバーニー・O・レイガンが創刊した。 その後、町は金鉱業と魚の製缶業で初期発展を遂げた。しかし、第二次世界大戦が起こるとアメリカ海軍がヤポンスキー島に航空基地を建て、その3万人の作業員を含めてシトカが管轄するようになった。1963年9月24日にシトカ一帯が大シトカ市として統合され〔 〕、1971年12月2日にはシトカ市郡の地方自治が承認された〔 〕。 2008年3月25日にシトカでは、9人が何者かにより刺されそのうち4人が死亡するという大量虐殺事件が起きた。その後、街に住むジェイソン・アボット(18歳)が容疑者として浮上したが、シトカで殺人事件が起こったのは12年ぶりの事だった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「シトカ」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Sitka, Alaska 」があります。 スポンサード リンク
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