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シドニー・クロスビー : ミニ英和和英辞書
シドニー・クロスビー[びー]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ビー : [びー]
 (n) bee, (n) bee

シドニー・クロスビー : ウィキペディア日本語版
シドニー・クロスビー[びー]

シドニー・クロスビーSidney Patrick Crosby, 1987年8月7日 - )は、カナダ出身のアイスホッケー選手。アメリカ合衆国ペンシルベニア州ピッツバーグに本拠地を置くNHLピッツバーグ・ペンギンズのキャプテン。ポジションはセンター。身長180cm、体重91kg。背番号87(生年月日1987.8.7に由来)。
NHL史上最年少の19歳でキャプテンに就任するなど若きスーパースターとして注目され、ウェイン・グレツキーが「The Great One(偉大なる男)」と呼ばれていたのにちなみ、「The Next One(次なる男)」のニックネームで呼ばれる。

父トロイ・クロスビーもかつてアイスホッケー選手でゴールテンダー(ゴールキーパー)だった。1984年にモントリオール・カナディアンズからドラフト全体240番目で指名されたが、NHLではプレーできなかった。
==経歴==


ノバスコシア州コールハーバー(ハリファックス郊外)出身。2歳でホッケーを始め、7歳の時に最初の新聞インタビューに応じた。子供の頃はスティーブ・アイザーマンがあこがれの選手だった。
* NHLにドラフトで指名されるまでに所属していたリーグでの1試合平均得点率(ポイント)はマリオ・ルミューに次ぐそれだという。
* 2005年、ペンギンズからドラフト全体1位指名を受け入団。ドラフト前から「確実に全体1位指名」といわれ、リーボックゲータレード社など数社がすでにスポンサーについていた。
* 2004-2005シーズンはNHLのオーナー側がロックアウトに踏み切ったので翌2005-2006年にワシントン・キャピタルズアレクサンドル・オベチキン(Alexander Ovechkin)と「カルダー・カップ(最優秀新人賞)」を争う羽目になった。
* 2005年10月5日のニュージャージー・デビルスとのデビュー戦では、チームのシーズン最初のゴールをアシストしたが、1対5で敗れた。
* 2005-2006年には102ポイント(得点39・アシスト63)を記録し、最年少100ポイント記録を更新した。ルーキーイヤーでの100ポイントは史上7人目。また110分のペナルティーを取られていたため、「100ポイントをあげた年に100分のペナルティー」という史上初の記録を達成した。カルダーカップは106ポイントを挙げたオベチキンが受賞した。
* 2006-2007年には120ポイント(得点36・アシスト84)を挙げ、リーグMVPを獲得した。オールスターにも初出場したがポイントは挙げられなかった(2005-2006年はトリノオリンピックでオールスターが無かったため、2007年が自身初のオールスターになった)。オフの5月31日にキャプテンに指名された。19歳297日でのキャプテン就任は史上最年少の快挙である。2007年7月、2012-2013年までの契約延長を結んだ。契約金は5年4350万ドル(生年月日にちなみ1年あたり870万ドル)。
* 2007-2008年も好調ではあったが、怪我での離脱で2年連続100得点とはいかなかった(離脱がなければ110得点のペースだった)。同年12月、カナダの年間最優秀スポーツ選手に与えられるルー・マーシュ賞を受賞した。チームがプレーオフに進み、決勝に上り詰める中、プレーオフではチーム1位の得点数を上げた。
* 2008-2009年は、前年のような長期離脱はなく、2年ぶりに100得点を突破した(103得点)。しかし、エフゲニ・マルキンの活躍もあり、チーム得点王にはなれなかった(1チームに100得点が二人もいるのは2年ぶりの出来事である)。プレーオフでは、スタンリー・カップを獲得したチームの中でゴール王。得点ではマルキンに5つの差をつけられたが、前年を上回る31得点をマークした。
* カナダ代表として2004、2005年の世界ジュニア選手権、2006年の世界選手権に出場した。地元開催となった2010年のバンクーバーオリンピックでは、決勝のアメリカ戦で2-2で迎えたサドンデスの延長7分40秒に劇的な決勝ゴールを決め金メダルを獲得した。2015年の世界選手権で優勝したため、26人目のトリプル・ゴールド・クラブ入りを果たした。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「シドニー・クロスビー」の詳細全文を読む




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