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シネクラブ・デュ・カルチェ・ラタン : ミニ英和和英辞書
シネクラブ・デュ・カルチェ・ラタン[らぶ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ラブ : [らぶ]
 【名詞】 1. (abbr) lab 2. laboratory 3. love 4. (n) (abbr) lab/laboratory/love

シネクラブ・デュ・カルチェ・ラタン ( リダイレクト:シネクラブ・デュ・カルティエ・ラタン ) : ウィキペディア日本語版
シネクラブ・デュ・カルティエ・ラタン[らぶ]
シネクラブ・デュ・カルティエ・ラタン()は、フランスパリにかつて存在したシネクラブエリック・ロメールが主宰し、10代のジャン=リュック・ゴダールフランソワ・トリュフォージャック・リヴェットが在籍した集団として知られる。
== 概要・来歴 ==

* 当時20代のリセ教師であったロメールの教え子が当初組織したシネクラブで、1948年、毎週木曜日にパリ・セーヌ左岸カルティエ・ラタンダントン街で開かれた定例上映会の解説役をロメールが引き受けることになる。1930年代アメリカ映画を中心にさまざまなフィルムを上映した。アンドレ・バザンジャン=ジョルジュ・オリオールらが1948年に組織しジャン・コクトーを会長に戴いた、錚々たる面々によるもうひとつのシネクラブ「オブジェクティフ49」の人々も、若い世代が催した意欲的なこの上映会に参加していた。
* 1950年5月、ロメールが編集長となり、それまでの機関誌を『ラ・ガゼット・デュ・シネマ』として新創刊。ゴダールやリヴェットが現代の映画について論じた。同年11月を最後に5号で廃刊、バザンやジャック・ドニオル=ヴァルクローズらの翌1951年4月の『カイエ・デュ・シネマ』誌創刊の動きに合流した。
* ソルボンヌ大学IDHEC(フランス高等映画学院、現Fémis)とに留学していたエルネスト・ド・スーザも同シネクラブのメンバーで、彼はその後、ポルトガルリスボンに戻ってシネクラブ運動を組織し、イタリアネオレアリズモフランスヌーヴェルヴァーグの影響色濃いシネマ・ノーヴォ運動の映画作家となった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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