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シビル・バンマー(Sybille Bammer, 1980年4月27日 - )は、オーストリア・リンツ出身の女子プロテニス選手。彼女は25歳で4大大会にデビューした遅咲きタイプの選手で、WTAツアーでシングルス2勝を挙げた。1人の娘を持つ“ママさん選手”として活動していた。左利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。世界ランキング自己最高位は19位(2007年12月)。 == 来歴 == バンマーは母親の勧めで11歳からテニスを始め、1997年にプロ入りした。2000年ウィンブルドンで4大大会の予選会に初挑戦したが、この予選会の1回戦で日本の浅越しのぶに敗れたことがある。翌2001年、バンマーは娘を出産した。2003年に女子テニス国別対抗戦・フェドカップのオーストリア代表選手に初選出される。2003年全豪オープンから4大大会予選会にも再挑戦を始めるが、なかなか本戦出場に手が届かず、ようやく2005年全米オープンで初めての本戦出場を果たした。(予選会は、3試合を勝ち抜かないと本戦出場権を得られない。)25歳にして4大大会本戦初出場を決めたバンマーは、この大会では1回戦で止まったが、これを契機にキャリアを開花させていく。 2006年、バンマーは全豪オープンとウィンブルドンの2大会で3回戦に勝ち進み、フェド杯にも2年ぶり3度目の出場をしたが、「ワールドグループ」準々決勝で出場3試合すべてを落としてしまう。2007年に入り、全豪オープンでは1回戦で第12シードのアンナ・チャクベタゼ(ロシア)に敗れたが、2月第2週のタイ・パタヤ大会で活躍する。バンマーは初進出の決勝でヒセラ・ドゥルコ(アルゼンチン)を 7-5, 3-6, 7-5 で破り、26歳10ヶ月でツアー初優勝を果たした。これで勢いに乗ったバンマーは、3月前半のインディアンウェルズ・マスターズでスベトラーナ・クズネツォワ(ロシア)との準決勝に勝ち上がり、4大大会に次ぐ大規模な大会で初めての好成績を出した。5月末開幕の全仏オープンで初めて「第20シード」を与えられ、第1シードのジュスティーヌ・エナンとの4回戦まで進出する。全米オープンでも4回戦に進み、第3シードのエレナ・ヤンコビッチ(セルビア)に 4-6, 6-4, 1-6 で敗れた。 2008年の北京五輪で、バンマーは初めてオリンピックのオーストリア代表選手に選ばれ、女子シングルス準々決勝まで勝ち進んだ。この試合では第9シードのベラ・ズボナレワ(ロシア)に 3-6, 6-3, 3-6 で敗れた。オリンピック終了後の全米オープンで、バンマーは初めてのベスト8に進出し、4大大会自己最高成績を出した。準々決勝では第2シードのエレナ・ヤンコビッチに 1-6, 4-6 でストレート負けした。オーストリアの女子選手が4大大会シングルスのベスト8に残ったのは、1999年全米オープンのバルバラ・シェット以来9年ぶりだった。2009年7月中旬の「ECMプラハ・オープン」決勝で、バンマーはフランチェスカ・スキアボーネ(イタリア)を 7-6(4), 6-2 で破り、2年ぶりのツアー2勝目を挙げた。 バンマーは2011年7月、地元で開催されたガシュタイン女子を最後に31歳で現役を引退した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「シビル・バンマー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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