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シベニク(クロアチア語:Šibenik, ドイツ語: ''Sibenning'', イタリア語: ''Sebenico'')はクロアチアの歴史的都市で、ダルマチアの中央、クルカ川がアドリア海に流れ込む場所に位置している。 シベニクは政治的、教育、交通、産業、そして旅行についてもシベニク=クニン郡の中心地である。市民のほとんど(94.02%、2001年の統計)がクロアチア人である。シベニクの聖ヤコブ大聖堂がユネスコの世界遺産に登録されている。 ==歴史== シベニクが初めて今の名前で登場するのは、1066年のクロアチア王、ペトロ・ウラジミール4世の時代に於いてである。 他のダルマチアの町と違い、シベニクのイリリア人、ギリシャ人、と古代ローマ人が建設した。アドリア海東岸のクロアチアの都市では最古の町である。 1298年シベニクは「町」の地位と独自の司教区を与えられた。それ以来、クロアチア人が実際に定住する前の長い間、聖アンナの城の洞穴は、居住に利用されてきたと証明されている。 他のダルマチアの都市のように、シベニクは、1412年までヴェネツィア共和国に抵抗した。15世紀の終わりには、オスマン帝国がシベニクを脅かしたが征服するには至らなかった。16世紀には聖ニコラスの要塞が建築され,17世紀までには、聖ヨハネ(Tanaja)とスビチェビッチ(Šubićevac(Barone))の要塞によって、シベニクの要塞化が再び促進された。 1797年のヴェネツィア共和国の滅亡によって、シベニクはハプスブルク帝国の支配下におかれた。 第一次世界大戦後ユーゴスラビア王国の一部となり、第二次世界大戦の間、イタリアファシスト政権とナチスに占領された。戦後は、1990年のクロアチア共和国の独立まで、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国 の一部であった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「シベニク」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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