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シメオン・ウィリス : ウィキペディア日本語版
シメオン・ウィリス

シメオン・スレイブンス・ウィリス(、1879年12月1日 - 1965年4月1日)は、アメリカ合衆国政治家弁護士であり、1943年から1947年に第46代ケンタッキー州知事を務めた。1927年から1967年の40年間では唯一共和党からケンタッキー州知事に選ばれた者である〔Powell, p. 98〕。
ウィリスの家族は1889年頃にオハイオ州からケンタッキー州に移って来た。短期間、教育やジャーナリズムの分野で働いた後、個人教師に付いて法律を勉強し、1901年に法廷弁護士として認められた。政治に興味を持つようになったが、公職の選挙に出馬した初期はほとんど落選しており、唯一アシュランド市の法務官を4年間務めただけだった。1927年になって、新しく知事に当選したフレム・サンプソンが、当時は州内の最終審だったケンタッキー州控訴裁判所判事に指名した。1928年にはその職の選挙に出馬して当選し、4年間任期を得た。この期間に6巻の法令集、『石油とガスの法律のソーントン』を改定して有名になった。1932年にも再選を求めたが落選し、法律実務に戻った。
ウィリスは10年間政界を離れていた後、1943年に共和党から無投票で知事候補に指名された。州民主党には内部抗争があり、加えてウィリスが州所得税を取り下げるという人気の出る提案を行ったことで、民主党候補J・ライター・ドナルドソンに対して僅差の勝利を収めた。ケンタッキー州議会両院は民主党が多数を占めており、ウィリスの政策は抵抗された。1945年、第二次世界大戦が終わり、州財政がかなり黒字化された。余剰資金をどう使うかについて意見がまとまらず、結論は特別会期に持ち越された。議会がウィリスの提案したものよりも予算を拡大していたので、州所得税を取り下げるというウィリスの選挙公約を実現させることが出来なかった。それでも州内で結核病院を5か所に建設したこと、教育予算をかなり増加させたことなど、そこそこの成果を上げることができた。州知事の任期が明けた後、様々な州委員会委員を務めたが、1952年に唯一選挙で選ばれる役職として控訴裁判所判事に復帰しようとした。このときは対抗馬バート・T・コームズに敗れた。ウィリスは1965年4月1日に死去し、州都フランクフォートのフランクフォート墓地に埋葬された。
== 初期の経歴 ==
シメオン・スレイブンス・ウィリスは、1879年12月1日に、オハイオ州ローレンス郡で生まれた〔"Kentucky Governor Simeon Slavens Willis"〕。父はジョン・H・ウィリス、母はアビゲイル(旧姓スレイブンス)であり、その9人の子供の末っ子だった〔Klotter in ''Kentucky's Governors'', p. 181〕。南北戦争のとき、祖父のウィリアム・ウィリスが北軍ウェストバージニア第5歩兵連隊C中隊長をしており、父のジョンはその中隊の伍長だった〔Jillson, p. 5〕。後に父はオハイオ州の石炭産業でパイオニアになった〔Connelley, p. 577〕。
ウィリスはローレンス郡の公立学校で初等教育を受けた〔。1889年頃、家族はケンタッキー州グリーナップ郡のスプリングビル(現在のサウスポーツマス)に移転した〔。そこでも公立学校に通い、地元の私立学校で教員訓練コースを履修した〔。20歳になる前にスプリングビルの教室が3つある小学校の校長に選ばれていた〔 。
ウィリスは「ポーツマス・トリビューン」紙の記者、さらに「グリーナップ・ガゼット」紙の論説員としても働いた〔。これと同時期に、後のアメリカ合衆国下院議員ジョセフ・ベントリー・ベネットや、アダ大学教授ウィリアム・コーンなど、個人教師に付いて法律を勉強した〔。1901年11月11日には法廷弁護士として認められ、1902年1月、アシュランド市で法律実務を始めた〔〔Harrison in ''The Kentucky Encyclopedia'', p. 958〕。その後間もなく、地域で著名な法律会社ヘイガー・アンド・ステュワートに加わり、6年間務めた〔。その後は自営の法律実務に戻った〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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