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シモン・トルップ・ケアー(Simon Thorup Kjær、1989年3月26日 - )は、デンマーク・ホーセンス出身のサッカー選手。スュペル・リグ・フェネルバフチェSKに所属する。ポジションはDF(センターバック)。デンマーク代表でもある。190cmという長身で空中戦に強く、守備だけでなくセットプレーなどの攻撃においても頼りになる存在である〔footballista、ソルメディア、2009年11月4日号〕。 日本語ではケアーのほかにもキアル、スウェーデン語の誤用からきたシェアーなどと表記される。 == 経歴 == デンマークのFCミッティランにてキャリアをスタートさせた。2006年よりU-19デンマーク代表、2008年よりU-21代表に選出される。チェルシーFC、レアル・マドリードなど欧州のトップクラブからオファーが届くが、移籍金の額が低すぎるとしてミッティラン側がオファーを拒否した。イタリアで開催されたトルネオ・ディ・ビアレッジョというユース大会に出場して活躍したため、大会直後の2月16日にイタリアのUSチッタ・ディ・パレルモへの移籍が内定した。 当初、イタリア語の習得など環境への適応に時間がかかり、経験豊富なチェーザレ・ボヴォ、モリス・カロッツィエーリらの控え扱いであったが、10月28日のACFフィオレンティーナ戦にてデビューを飾ると、激しいマークで相手の攻撃を抑え、ポジショニング・スピード共に優れた選手である事を証明。以降、定位置を確保した。2009年2月8日にはデンマーク代表に初招集を受けた。2010年のワールドカップ南アフリカ大会でも活躍したが、グループリーグE組の最終戦で日本に敗れ、決勝トーナメント進出はならなかった。 2010年7月8日、ドイツのVfLヴォルフスブルクへ推定移籍金1200万ユーロ(約13億7000万円)の4年契約で移籍した〔ボルフスブルクがデンマーク代表ケアを獲得 UEFA.com、2010年7月8日〕。これにより、W杯でも対戦した日本代表の主将・長谷部誠とチームメートになった。ヴォルフスブルクではセンターバックのレギュラーを確保したものの、チームはシーズンを通して下位に低迷し最終節のホッフェンハイム戦で辛うじて残留を決めたが15位に留まり、自身も納得のいくプレーができたとは言い難かった。 2011年8月31日、ASローマにレンタル移籍し、2年ぶりのイタリア復帰。レンタル料は300万ユーロであり、シーズン終了後に700万ユーロで完全移籍できるオプションが付けられた〔ローマ、ガゴら4選手を一気に獲得 Goal.com、2011年9月1日〕。 2013年3月22日のワールドカップ予選、チェコ戦で代表初得点を挙げた。 2013年7月、LOSCリール・メトロポールへ完全移籍〔L’international danois Simon Kjaer est Lillois ! LOSC Lille Métropole、2013年7月5日〕。 7年前にリールに行ったことがあったこともあり、移籍後からすぐにフランスのプレースタイルに馴染み、彼の活躍が光りチームも10試合連続無失点という活躍を見せ、再びビッグクラブから注目を集める。 2015年夏に、リヴァプール、マンチェスターユナイテッド等、イングランドのトップチームへの移籍を噂されたが、「タイトルを獲りたい」という理由で、トルコのフェネルバフチェへ移籍を決めた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「シモン・ケアー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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