|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana) ・ 戦 : [いくさ] 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight ・ 戦い : [たたかい] 【名詞】 1. battle 2. fight 3. struggle 4. conflict
シャトーゲーの戦い(シャトーゲーのたたかい、英:Battle of the Chateauguay)は、米英戦争中の1813年10月26日に、現在のケベック州オームズタウン近くでカナダ軍民兵およびモホーク族インディアン戦士の連合軍とアメリカ軍との間に戦われた戦闘である。カナダ侵攻を目論むアメリカ軍を、数では圧倒的に劣勢なカナダ軍が撃退した。 == アメリカ軍の作戦と動き == 1813年遅く、アメリカ合衆国陸軍長官ジョン・アームストロングがモントリオールを占領し、ひいてはアッパー・カナダ全体の確保に繋げようという作戦を立てた。ニューヨーク州サケット港から発進する部隊とシャンプレーン湖のプラッツバーグから発進する部隊がモントリオール市の手前で合流し攻撃を掛ける考えであった。 シャンプレーン湖のアメリカ軍は、7月4日に着任したウエイド・ハンプトン少将が指揮を執った。ハンプトンはこの作戦について幾つかの懸念を抱いていた。バーモント州バーリントンに基地を置くハンプトン軍は訓練が行き届いて居らず、部下の士官も訓練や経験が足りなかった。前進基地であるプラッツバーグは、イギリス海軍が湖を支配しているために、物資の補給が困難であった。最後に、南部の裕福なプランテーション所有者であるハンプトンは、サケット港から師団を率いて発進するジェイムズ・ウィルキンソン将軍を軽蔑していた。ハンプトンは最初ウィルキンソンとの協働作戦を拒否したが、アームストロング自身が作戦指揮を執るとのことだったので、最後は連合遠征隊への参加を説得された。 9月19日、ハンプトン軍は水上をバーリントンからプラッツバーグに移動し、シャンプレーン湖から北への直通路にあるオーデルタウン方面に偵察隊を派遣した。この地域のイギリス軍はかなりの戦力があると判断したハンプトンは、西のシャトーゲー川沿いにあるフォー・コーナーズの町に向かうことにした。 ウィルキンソンの遠征隊が発進準備を終えていなかったので、ハンプトンはそこに10月18日まで留まった。ハンプトンは、遅れによって物資を使い果たし、イギリス軍には十分な戦力を集める時間を与えてしまうことを心配していた。アームストロングからウィルキンソン軍が「概ね」発進準備ができたと連絡が入り、ハンプトン軍はシャトーゲー川を下り始めた。ここで1,400名のニューヨーク州民兵旅団が国境を越えてカナダに侵入することを拒んだので、進軍したのは正規兵2個旅団と200名の騎兵および10門の野砲であった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「シャトーゲーの戦い」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|