|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。
ザ・シャドウズ(The Shadows) はイギリスのロックグループ。 1950年代から活動を開始し、歌手のクリフ・リチャードと組んだクリフ・リチャード&ザ・シャドウズとして、ビートルズ登場前の1950年代後半から1960年代前半のイギリスのポピュラーミュージック・シーンをリードした。その活動を通じて69曲をイギリスのヒットチャートに送り込んだ(クリフ・リチャードのバックバンドとして35曲、シャドウズ単独で34曲)。 シャドウズはエルヴィス・プレスリー、クリフ・リチャードに次いでイギリスのヒットチャートで3番目に成功したグループである〔"Hit Singles&Albums"第19版(イギリス)〕。また、ビートルズ登場以前の4ピースロック・コンボのパイオニアであり、大西洋を挟んでアメリカのベンチャーズと対峙する存在でもあった。 ジョン・レノンはタイムズのインタビューにおいて「シャドウズが登場するまで、イギリスには聴く価値のある音楽はなかった。」と述べている。 ==概要== 1958年、ニューキャッスルを本拠地にしていたレイルローダーズのメンバーであったハンク・マーヴィンとブルース・ウェルチ、ロンドンのザ・バイパーズ・スキッフル・グループにいたジェット・ハリスとトニー・ミーハンによって結成された。当初は「ムーヴ・イット」(''Move It'') のヒットにより急遽バックバンドが必要となったクリフ・リチャードのために作られたバンドであった。マーヴィン、ウェルチのコンビはアメリカのポップス音楽に、ハリスとミーハンはジャズに影響を受けていた。 後にジェリー・ローダン作の「アパッチ」(''Apache'') のヒットをきっかけにインストゥルメンタル・コンボとして売り出されることになる。アメリカ、およびカナダでは、ベンチャーズ、サーファリズに対抗してサーフ・グループとして売り出されることになり、''The Shadows Know''、''Surfing with The Shadows'' の2枚のコンピレーション・アルバムがリリースされた。この2枚のアルバムは、アメリカではヒットしなかったがカナダ、ヨーロッパを中心にヒットした。 ノリー・パラマー(最初のプロデューサー)によると、1stスタジオアルバムの制作中にバンド内部に亀裂が入り、まずハリスが、続いてミーハンがバンドを去る。ミーハンの後任として元クルー・カッツのブライアン・ベネットが、ハリスの後釜にはブライアン "リコリス" ロッキングが加入したがシャドウズは1968年にいったん解散する。 マーヴィンとウェルチはボーカル入りのギター・トリオ、マーヴィン・ウェルチ&ファーラーを結成。しかし、売上も伸びず、ライブでは観客からたびたびシャドウズ・ナンバーを要求されたことからブライアン・ベネットを呼び戻し、1973年にシャドウズとして再スタートを切り、1990年の解散まで活動した。 2004年には再結成され、イギリス、ヨーロッパツアーを敢行。2008年から2010年にはクリフ・リチャードと共にツアーを行った。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「シャドウズ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|