翻訳と辞書
Words near each other
・ シャノン符号化
・ シャノン郡 (サウスダコタ州)
・ シャノン郡 (ミズーリ州)
・ シャノン限界
・ シャノン=ハートレーの定理
・ シャハブ
・ シャハブ3
・ シャハブ3 (ミサイル)
・ シャハブ6 (ミサイル)
・ シャハラザード
シャハージー
・ シャハージー (サーターラー藩王)
・ シャハーダ
・ シャハール・ピエール
・ シャハール・ペール
・ シャハー・ピアー
・ シャハ家
・ シャハ朝
・ シャハ王朝
・ シャバ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

シャハージー : ミニ英和和英辞書
シャハージー[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

シャハージー ( リダイレクト:シャーフージー ) : ウィキペディア日本語版
シャーフージー[ちょうおん]

シャーフージーマラーティー語:शाहुजी, Shahuji, 1672年 - 1712年?)は、南インドタミル地方タンジャーヴール・マラーター王国の君主(在位:1684年 - 1712年)。シャハージー(Shahaji)、シャーフージー1世(Shahuji I)とも呼ばれる。
==生涯==
1684年、父王ヴィヤンコージーが死亡あるいは退位したことにより、王位を継承した〔Tanjore 2
1686年、名目上の忠誠を誓っていたビジャープル王国ムガル帝国に滅ぼされ、1689年マラーターサンバージーが殺害されると、弟のラージャーラームシェンジへと逃げた。
1687年、ムガル帝国にバンガロール一帯を奪われ、のちにこの地はマイソール王国ジャーギール(封土)として与えられた〔辛島『世界歴史大系 南アジア史3―南インド―』、p171〕。その際、マイソール王チッカ・デーヴァ・ラージャよりその代償として30万ルピーを支払い、同地を購入する形をとった〔Mysore 3 〕。
1690年以降、ムガル帝国はシェンジを包囲したが、タンジャーヴール・マラーター王国は籠城軍に援軍を派遣し、包囲軍に攻撃を仕掛けた。
しかし、タンジャーヴール側も劣勢となり、1691年からはその主権保持を理由に40万ルピーの貢納を払わされ、1697年にはカルナータカ太守ズルフィカール・ハーンマドゥライ・ナーヤカ朝マンガンマールから割譲された土地を再割譲させられた。
1698年、ムガル軍がシェンジを落とし、デカンへと主力が戻ると、シャーフージーは領土の奪還に成功した。
1700年代以降、シャーフージーはマドゥライ・ナーヤカ朝やラームナードゥパーライヤッカーラルと領土を争うようになった。
1712年、シャーフージーはタンジャーヴール城で死亡し、弟のサラボージーが王位を継承した〔Tanjore 2 。ただし、王位を譲ってヨーガ行者となったとも伝えられている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「シャーフージー」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Shahuji I 」があります。




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.