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シャムスッディーン・イルトゥトゥミシュ : ミニ英和和英辞書
シャムスッディーン・イルトゥトゥミシュ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

シャムスッディーン・イルトゥトゥミシュ : ウィキペディア日本語版
シャムスッディーン・イルトゥトゥミシュ[ちょうおん]

シャムスッディーン・イルトゥトゥミシュ(、Shams al-Dīn Iltutmish, ? - 1236年4月29日)は、北インドイスラム王朝である奴隷王朝(インド・マムルーク朝)の第3代君主(在位1211年 - 1236年)。北インドでトルコ人によるイスラム国家の支配を確立した人物として評価される〔S.チャンドラ『中世インドの歴史』、74頁〕〔真下「デリー・スルターン朝の時代」『南アジア史 2』、106頁〕〔荒『インドの「奴隷王朝」 中世イスラム王権の成立』、215頁〕。名はイレトゥミシュ(イルトゥミシュ、Iletmish)とも書かれるが、刻文と史書の記録にはイルトゥトゥミシュとイレトゥミシュの表記が混在しており、表記は一定していない。
== 生涯 ==

=== 即位以前 ===
トルキスタンテュルク系遊牧民であるイルバリー部族の首長の子として生まれる〔荒『インドの「奴隷王朝」 中世イスラム王権の成立』、79頁〕。兄弟間の確執によって奴隷としてブハラの市場で売却され〔〔ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、111頁〕、アッバース朝の貴族に買い取られて一時期をバグダードで過ごし、その後ゴール朝マムルークであるクトゥブッディーン・アイバクに引き取られた〔〔ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、112頁〕。アイバクからは第一の側近として目をかけられ〔、要衝のバダーウーンとグワーリヤルイクターとして与えられ〔、アイバク没時のイルトゥトゥミシュは総督の地位にあった〔。
1210年にアイバクが落馬事故によって亡くなると、後継者に指名されていたアイバクの子アーラム・シャー〔アーラム・シャーがアイバク実子であるか養子であるかは確定していない。(荒『インドの「奴隷王朝」 中世イスラム王権の成立』、50頁)〕が跡を継いだ〔荒『インドの「奴隷王朝」 中世イスラム王権の成立』、51頁〕。悪政を布くアーラム・シャーに対してデリーの貴族はイルトゥトゥミシュを支持し〔荒『インドの「奴隷王朝」 中世イスラム王権の成立』、51-52頁〕、彼はデリーに進撃してきたアーラム・シャーを討って王位に就いた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「シャムスッディーン・イルトゥトゥミシュ」の詳細全文を読む




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